第985回 2009年ツール・ド・フランス(2) アルベルト・コンタドールとランス・アームストロング
■2年前に優勝したスペインのアルベルト・コンタドール
前回の本連載では、45年ぶりにモナコを通過し、史上2番目に多い6か国を駆けめぐるということを紹介し、今年のツール・ド・フランスのコースの特徴を述べた。今回は、今年のツール・ド・フランスの2人の注目選手を紹介しよう。
まず、スペインのアルベルト・コンタドールである。コンタドールは本連載第744回で紹介しているとおり、2007年に総合優勝を果たしている。またコンタドールは総合優勝だけではなく、25歳以下の選手に与えられる新人賞もあわせて獲得している。
■終盤に有力選手が離脱し、コンタドールが優勝した2007年
ところが、この若いコンタドールの優勝はたなぼたのように受け止められていた。というのも2007年のレースを終盤までリードしていたのはデンマークのミカエル・ラスムッセンとカザフスタンのアレクサンドル・ヴィノクロフであった。ところが、まずヴィノクロフがドーピング検査で陽性反応が出たため、2回めの休息日にチームごとツール・ド・フランスから撤退させられてしまった。そして一方のラスムッセンは大会前の6月の自らの滞在地について所属チームに虚偽の申告を行っていたことが判明し、所属チームのラボバンクは大会終了まであと4日というところでラスムッセンをチームから追放してしまったのである。
したがって2年前のツール・ド・フランスの最終日、シャンゼリゼ通りに注目の2選手が姿を現すことなく周回の戦いが行われたのである。主役を2人欠いた大会の最後を締めくくったのが区間でわずか1勝しかしていない24歳のコンタドールであったのである。たなぼた優勝と評されたコンタドールであったが、これがフロックではなく実力であるところを示したいところである。しかしながら、所属していたディスカバリー・チャネルが解散してしまい、コンタドールは参戦もおぼつかない状況になったが、2007年度の最優秀選手に選出されたのである。
■フランス国内のレースには不参加だが、グランツールを完全制覇
そして、翌年の2008年、エースのヴィノクロフをドーピング疑惑で失ったアスタナがコンタドールを迎え入れた。しかし、コンタドールの不運は続く。前年度にドーピング疑惑を起こしたアスタナがフランス国内の主要レースから締め出されてしまう。したがって、2008年のツール・ド・フランスはディフェンディングチャンピオン不在のまま行われたのである。
フランス国内のレースに出場できなくなったコンタドールは移籍のうわさが尽きなかったが、フランス国外でのレースでは大活躍をした。春のジド・デ・イタリアは大会前の調整が不十分であったにもかかわらず優勝し、イタリア人以外では12年ぶりという快挙を成し遂げる。8月の北京オリンピックでは個人タイムトライアル4位に終わったが、スペインのプエルタ・ア・エスパーニャで優勝する。フランスのツール・ド・フランス、イタリアのジロ・デ・イタリア、スペインのプエルタ・ア・エスパーニャを制し、史上5人目となるグランツール完全制覇を成し遂げたのである。そして今年のツール・ド・フランスで2年ぶりの優勝を果たし、フランスだけではなく全世界のファンに新実力を見せ付けたいところである。
■がんを克服し4年ぶりに復帰する米国のランス・アームストロング
もう1人の注目選手が米国のランス・アームストロングである。1999年から2005年までの7連覇はツール・ド・フランスの歴史に残る偉業である。1996年にはがんが体内で転移していることが発見されたが、それから5回にわたって優勝したことは超人的なことである。しかしその超人アームストロングも2005年4月にはその年のツール・ド・フランスを最後に引退することを表明する。そしてその年のツール・ド・フランスでは見事に優勝、7連覇を置き土産に引退したのである。
引退後は自転車メーカーの顧問などを務めていたが、昨年9月に現役復帰を表明、今年の1月の大会に出場し、春にはジロ・デ・イタリアに出場し、12位と健闘する。そして、かつて7連覇を果たしたツール・ド・フランスにアスタナのメンバーとして戻ってきたのである。(続く)