第85回 フランス人審判の活躍(1) 審判の伝統国フランスから2人を選出

■ジル・ベイシエール氏とフレデリック・アルノー氏を選出

 これまでの連載では不本意なことではあるが、フランスのグループリーグについて論じてきた。フランス以外の強豪国の敗退は今大会の大きな話題になったが、審判の判定についても話題に事欠かない大会であった。そこで、今回と次回はフランスから今大会に出場した2人の審判について紹介しよう。
 本大会には主審、副審それぞれ36人の合計72人の審判がエントリーされている。欧州からは主審、副審とも14人が選ばれているが、フランスからは主審としてジル・ベイシエール氏、副審としてフレデリック・アルノー氏が選出され、2人ともワールドカップ初出場である。欧州で主審も副審も選出されている国はフランス、ドイツ、デンマーク、イングランド、スロバキア、スウェーデン、ポルトガル、オランダの8か国である。

■リヨン-ランス戦の笛を吹いたベイシエール氏

 ベイシエール氏は1959年生まれの42歳。ニース出身の会社役員であり、地中海沿岸のメディテラネ協会所属で1990年に初めて1部リーグの試合の主審を務め、それ以来12年間で200試合近くの笛を吹いてきた。最近の試合は本連載第58回でも紹介したフランスリーグ最終節のリヨンとランスの直接対決であり、重要な試合を任されることはベイシエール氏の力量を物語っているであろう。国際審判は1992年から登録されており、フランス語以外には英語、イタリア語を使用することができる。オランダ人のヤン・ウェヘーレフ氏のように5か国語を操る審判もおり、ベイシエール氏の3か国語というのは欧州の国際審判としては平均あるいは平均をやや下回る程度であるだろう。
 一方の副審のアルノー氏は副審のスペシャリストとして国内でも副審に専念してきた。フランスでは1990年代の初めから主審と副審をわけて登録するようになっており、アルノー氏は2部リーグの審判をしていたころは主審を務めていたが、1部リーグでは副審を務め、1997年に国際副審に任命された。アルノー氏もベイシエール氏同様メディテラネ協会所属である。
 このメディテラネ協会は審判の宝庫であり、前回のフランス大会に出場したマルク・バッタ氏やレミ・アレル氏、クロード・コロンボ氏など国際主審のほぼ半数はこのメディテラネ協会所属の審判である。

■名審判ジョエル・キニウー氏とミッシェル・ボートロ氏

 さて、これまでの大会でのフランス人の審判の業績を振り返ってみよう。過去12人のフランス人審判が30試合で笛を吹いている。一番多くの試合で笛を吹いたのは1986年のメキシコ大会から1994年の米国大会まで3大会連続出場したジョエル・キニウー氏である。メキシコ大会での主審は1試合だけだったが、フランスが本大会に出場しなかったイタリア大会では3試合、米国大会では4試合と合計8試合の主審を務めている。3大会出場、8試合の主審というのはいずれもおそらく今後破られることのない金字塔的な数字であろう。フランスから複数の主審が出場したのは最初の地元開催の1938年大会で3人の主審が5試合の笛を吹いたことと、1990年の米国大会でキニウー氏とともにミッシェル・ボートロ氏が3試合の主審を務めたという2大会のみである。ボートロ氏は1982年のスペイン大会に出場しており、唯一返り咲きで2大会出場した経験を持つ審判である。1986年大会はフランスがシード国となったため、フランスからの主審の派遣が1人に制限されたのであろう。

■決勝の笛を吹いたジョルジュ・カプデュビル氏とモーリス・ギーグ氏

 そして栄えある決勝の主審を務めたフランス人は今まで2人、1938年のフランス大会のジョルジュ・カプデュビル氏と1958年のスウェーデン大会のモーリス・ギーグ氏である。1958年大会のギーグ氏はフランスが準決勝まで進出したにも関わらず、フル回転し、全32試合中4試合の主審を務めている。決勝の主審に2人を輩出した国はフランス以外ではイングランドとブラジルだけであり、今回の決勝でピエルルイジ・コリーナ氏が笛を吹いたイタリアがこれらに並んだことになる。
 さて、2人のフランス人審判は極東の地でどのような活躍をしたのであろうか。(続く)

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