第1040回 ワールドカップ予選回顧 (8) 12試合中11試合に出場、主将を務めたティエリー・アンリ
■ファンから解任論がやまないレイモン・ドメネク監督
これまでの7回の連載でプレーオフを含む12試合を3つのステージに分け、第1ステージの最後のリトアニアとの連戦がフランスの流れを変え、第2ステージの最初のアウエーのフェロー諸島戦から新戦力が定着し、プレーオフを勝ち抜いて本大会出場につながったことを紹介してきた。今回はこのシリーズの締めくくりとして予選突破に最も貢献したのは誰であったかを紹介しよう。
まず、最も貢献した選手を論じる前に、これだけの戦力がそろいながら苦戦したのはレイモン・ドメネク監督の存在に他ならない。選手の不可解な起用、試合後などのインタビューでの不適切な表現、一部選手との不協和音など2008年の欧州選手権予選から厳しい世論にさらされてきたが、フランス教会の主流派の流れをくむことから監督の座を守ってきた。今予選でも解任の声はファンや一部の選手から上がっていたが、結局はプレーオフを勝ち抜き、予選突破を果たした監督となった。
■12試合中11試合に出場したティエリー・アンリ
この無能な監督を支えたのがのべ28人の選手たちであるが、その中で最も貢献した選手はティエリー・アンリに他ならない。アンリは今回の予選の12試合中11試合に出場しており、これは28人の選手の中で最多である。一方、得点はわずか3点、代表での通算得点が51という記録を持つアンリにとっては物足りない。しかも勝ち試合でのゴールは消化試合となったオーストリア戦にあげたゴールだけである。今回の予選を通じてアンリのプレーとして印象的なシーンといえば、12試合目のアイルランドとのプレーオフ第2戦、延長前半の100分のハンドによるアシストだけであろう。このプレーはフランスのサッカーの歴史に残る汚点であろう。しかし、アンリ自身もハンドを認め、審判の判定も覆ることなく、アイルランド側の政治ルートを通じての再試合の申し入れも受け入れられなかった。ピッチの中でも外でもフランスの本大会出場が認められている。
数字の上では出場試合しか印象に残らないアンリであるが、出場しなかったのはフェロー諸島戦だけである。アンリはリトアニア戦後に負傷し、昨季の終盤から今季の初めにかけて出場できなかった。攻撃陣の人材が豊富であること、フォーメーションを2トップと1トップで変更したことなどを考えれば、12試合中11試合に出場しているというのは驚異的である。さらにアンリは出場した11試合すべてで主将を務めている。アンリが先発メンバーとしてフランス代表の主将を務めたのは2008年の欧州選手権前のパラグアイとの親善試合が初めてのことであり、主将歴は浅い。欧州選手権以降は出場したすべての試合でキャプテンマークを付けている。
■親善試合要員に終わったパトリック・ビエイラ
アンリの負傷による不在中には親善試合2試合、予選1試合が行われているが、6月のナイジェリア戦ではパトリック・ビエイラ、トルコ戦はエリック・アビダル、8月のフェロー諸島戦はウィリアム・ギャラスが主将を務めている。
世論からは難局のチームを救うためにビエイラの復帰が望まれたが、結局ビエイラがブルーのユニフォームを昨秋以降着たのは昨年11月のウルグアイ戦とこのナイジェリア戦という2つの親善試合であり、ビエイラも第1036回で紹介したフィリップ・メクセス同様に親善試合要員であった。
■最後の決勝点はアンリのアシスト、ギャラスのゴール
ビエイラを復帰させれば予選突破にこれほど困難を伴うことはなかったかもしれないが、ドメネク監督は攻撃の軸としてだけではなくチームの精神的支柱としてアンリを起用し続けたのである。
そして、アンリは最後の最後ではハンドによるアシストというおまけまでついたが、そのアンリのアシストを受けてゴールを決めたのはアウエーのフェロー諸島戦でアンリ不在時の主将を務めたギャラスであった。アンリ不在のフェロー諸島戦でビエイラを起用していたならば、最後のアイルランド戦の決勝点は生まれなかったかもしれないのである。
ミッシェル・プラティニ、ディディエ・デシャン、ジネディーヌ・ジダンなどのビッグネームにアンリも主将として並ぶ日が来るのであろうか。(この項、終わり)