第1065回 2010年アフリカ選手権(6) カメルーン代表監督、ポール・ルグアン
■アフリカサッカーの盟主、カメルーン
前回の本連載では今回のアフリカ選手権に出場した2人のフランス人監督のうち、まずガボンのアラン・ジレスを紹介したが、今回はカメルーン監督のポール・ルグアンを紹介しよう。
前回紹介したとおり、ガボンはアフリカ選手権は5大会ぶり4回目の出場、そしてワールドカップ出場は今までにない。一方、カメルーンは、アフリカ選手権は4回優勝を果たし、今回が16回目の出場である。ワールドカップも1982年大会に初出場し、1990年大会から2002年大会まで4大会連続出場、前回の2006年大会こそ僅差でドイツ行きのチケットを逃したが、アフリカサッカーの盟主であるといっても差し支えないであろう。
■ブルターニュ出身、ブレストからパリサンジェルマンへ
その強豪カメルーンを率いるのがルグアンである。ルグアンは1964年生まれであり、前回紹介したジレスと同じ辰年の生まれである。ブルターニュの最西端にあるフィニシテール県で生まれ、1983年にブレストに移籍し、プロとしてデビューを果たしている。才能豊かな選手であるが、地元のクラブでプロになったのは大学で経済学を学んでいたからである。1984年には念願の1部リーグのデビューを果たす。したがって晩年のジレスともリーグ戦で対戦している。ブレストでは守備的MFとしてコンスタントに試合に出場していたが、チームは財政的な問題もあり、2部に降格してしまう。
ルグアンも2部でプレーしたが、1989年にはナントに移籍する。このチームで知り合ったのがディディエ・デシャンである。
そして1991年にはちょうどビッグクラブ宣言をしたばかりのパリサンジェルマンへと移籍する。パリサンジェルマンにはブレスト時代にチームメートであったバンサン・ゲラン、パトリック・コレテールも同時期に移籍してくる。パリサンジェルマンはルグアンの在籍時期にリーグ優勝1回、フランスカップ優勝3回、リーグカップ優勝2回という好成績を収めている。ルグアン自身も1993年2月のワールドカップ予選のイスラエル戦で代表にデビューを果たす。1994年にはキリンカップで訪日しており、ジレス同様日本の皆様にとってはなじみの深いフランス人選手であろう。
■レンヌ、リヨンの監督として実績を残す
1998年のワールドカップの地元開催の直前に現役を引退し、ルグアンは引退してすぐにレンヌの監督に就任した。レンヌでルグアンは手腕を発揮し、リーグ戦で上位に進出させるとともにインタートトカップに出場し、ジネディーヌ・ジダン率いるユベントス(イタリア)に勝てばUEFAカップ決勝というところまでチームを引き上げた。レンヌで3季監督を務めたのち、監督の座を去り、1年間充電した。
この充電済みのルグアンを獲得したのがジャック・サンティーニを代表の監督に奪われ、黄金時代が始まったばかりのリヨンであった。ルグアンはリヨンの監督を3季務めてリーグ戦を3連覇、監督としての才能を発揮する。
2006年の夏からルグアンはグラスゴー・レンジャーズ(スコットランド)の監督を務めるが、半年で辞任する。辞任したルグアンを待っていたのは古巣のパリサンジェルマンであった。2006-07シーズンのパリサンジェルマンは泥沼状態であった。ルグアンを招聘したものの、好転はせず、ルグアン自身も就任以来黒星が続き、得意のカップ戦でも敗退してしまう。ようやくのことで1部に残留したのであった。翌季はリーグカップ優勝、フランスカップ準優勝とタイトルを獲得する。しかしながら3季目の2009年夏でパリサンジェルマンの監督の座を退いたのである。
■カメルーンを立て直し、ワールドカップ出場に導く
そのルグアンを2009年夏に待っていたのがカメルーン代表である。2010年のワールドカップ予選兼アフリカ選手権予選の最終予選は2009年6月に始まっていたが、カメルーンは初戦でトーゴに敗れ、第2戦ではホームでモロッコと引き分け、ルグアン就任の段階でカメルーンは最下位であった。しかし、ルグアン就任とともにカメルーンは息を吹き返す。残り4試合を4連勝し、見事に首位となり、アフリカ選手権はもちろん、ワールドカップの出場権も手にした。
そして、アフリカ選手権の本大会では決勝トーナメントに進出し、準々決勝で優勝したエジプトに敗れている。ルグアン率いるカメルーンは南アフリカでも期待できそうである。(続く)