第1148回 2012年欧州選手権予選開幕 (3) 第4シードのベラルーシと対戦
■不安材料を抱えるフランス代表
ノルウェーとの親善試合はワールドカップ組以外で臨み、ワールドカップ組10人とそれ以外のメンバー12人で欧州選手権予選の開幕をフランスは迎えることになった。ノルウェー戦の敗戦、けが人の続出と不安材料をあげればきりはないが、ファンの心の支えはレイモン・ドメネクがようやく監督の座を退き、ボルドーで実績のあるローラン・ブランが新監督に就任したことである。ただ、そのブラン監督もワールドカップ前に就任が決定したとはいえ、準備の機会が十分に与えられているとは言えない。
■第4シードのベラルーシ
フランスの初戦の相手であるベラルーシはソビエト連邦の解体とともに生まれた新たなチームであり、1996年欧州選手権予選から国際舞台に挑戦しているが。これまでワールドカップも欧州選手権も本大会に出場したことはなく、2010年のワールドカップ予選もイングランド、クロアチアなどと同じグループ6に入ったがアンドラとカザフスタンに連勝し、ホームのウクライナ戦で引き分けたのが精一杯でそれ以外の試合はすべて負け、グループで4位に終わっている。その前の2008年欧州選手権予選もルーマニア、オランダ、ブルガリアに次いで4位である。これらの結果、今回の予選も第4シードに甘んじており、世界ランキングは77位にとどまっている。
■ベラルーシ史上最高の選手セルゲイ・アレイニコフ
ベラルーシのサッカーに関しては代表チームもクラブチームもこれといった実績を残していないので、イメージがわきにくいであろう。しかし、セルゲイ・アレイニコフの名前を知らない日本のサッカーファンはいないであろう。
アレイニコフは現在のベラルーシの首都であるミンスクの出身であり、ディナモ・ミンスクの主力選手として活躍し、ソ連リーグでは1982年にベラルーシ勢(当時は白ロシア共和国)として唯一の優勝を果たしている。ソ連代表としても活躍し、中でも1988年欧州選手権での準優勝は冷戦下の東欧サッカー最後の輝きとして今でも世界の社会主義者のサッカーファンの中で語り継がれている。2022年のワールドカップ招致を推進している日本の菅直人首相も例外ではないであろう。この西ドイツでの活躍が認められ、1989年にはイタリアのユベントスに移籍、UEFAカップ2回戦ではパリサンジェルマンを撃破する原動力となり、1989-90シーズンはUEFAカップで優勝し、イタリアカップでも栄冠に輝いている。この活躍を日本のクラブが見過ごすわけがない。アレイニコフはレッチェを経由し、1992年にはガンバ大阪に移籍している。ガンバ大阪での活躍については日本の読者の皆様はよくご存じであり、ここで改めて紹介する必要はないであろう。
興味深いことであるがガンバ大阪時代のアレイニコフは1992年に発足したベラルーシ代表に加わり、ベラルーシ代表として初めての試合となる1992年7月20日のリトアニアとの親善試合をはじめ4試合に出場しているのである。アレイニコフを超える選手はまだこのベラルーシの地から生まれていないため、欧州選手権やワールドカップという檜舞台に立つ機会に恵まれていないのである。
■代表チームの人気の高いベラルーシ
そして意外なことに代表チームの人気が高く、平均3万人以上の観衆を集めている。欧州で代表チームが3万人以上の観衆を集める国はイングランドやフランスなど数少ないが、その数少ない代表人気先行型の国がベラルーシなのである。
しかし、フランスにとって救いなのはこの試合がホームのスタッド・ド・フランスで開催されることである。ワールドカップでのチーム内紛、惨敗というダメージはあったものの、久しぶりの本拠地での試合である。フランス代表が最後にスタッド・ド・フランスで試合を行ったのは今年3月のスペイン戦、ワールドカップ予選を終えてから最初の試合であり、今年初めの試合であった。このスペイン戦の後はフランスは海外県を含む国内で2試合、チュニジアで1試合、そして南アフリカで3試合、ノルウェーで1試合行っており、半年ぶりのスタッド・ド・フランスでの試合でブラン新監督のチームの真価が問われるのである。(続く)