第1152回 ボスニア・ヘルツェゴビナにアウエーで勝利 (2) フランスにとって3回目の試合となるサラエボ

■相性のいいサラエボでの試合

 本拠地スタッド・ド・フランスでのベラルーシ戦の敗戦の翌日、フランス代表はボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボへと向かった。ここサラエボの地でフランスが試合をするのは2006年8月の両国の初対決の時だけではない。前回の本連載でボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴスラビアのサッカーの中心であったと紹介したが、旧ユーゴスラビア時代にはユーゴ代表は主に首都ベオグラードで試合を行っていたが、ザグレブあるいはサラエボでも試合を行っていた。フランスは旧ユーゴスラビアと25回対戦し、そのうち9回ユーゴスラビア国内で試合を行っているが、そのうち5試合はベオグラードで行われたが、残り4医師のうち1試合がサラエボで行われている。それが1985年4月3日に行われたワールドカップメキシコ大会の予選であり、フランスはこの試合で0-0のドローに持ち込み、翌年の本大会出場に大きく前進している。また、この試合でフランスは15試合連続負けなしという新記録も達成している。
 これまでのサラエボでのフランス代表の通算成績は旧ユーゴ代表と引き分け、ボスニア・ヘルツェゴビナに勝利しており、通算成績は1勝1分と相性はいい。

■イビチャ・オシム元監督の故郷サラエボ

 サラエボといえば、日本代表のイビチャ・オシム元監督の出身地であることからの日本の皆様もよくご存じであろう。サラエボのサッカーチームというと前回の本連載で紹介したサフェット・スシッチが所属していたFKサラエボが強豪であるが、それ以外にオシムがストラスブールに移籍するまで所属していたジェリェズニチャル・サラエボも存在する。

■サラエボ冬季オリンピックの開会式の会場だったアシム・フェルハトビッチ・ハセ競技場

 今回の試合会場であるアシム・フェルハトビッチ・ハセ競技場は、FKサラエボの本拠地である。この競技場は1947年にコセボ競技場として建設されたものであるが、1984年に行われたサラエボ冬季オリンピックの開会式の会場として改装された。フランスがユーゴスラビアと対戦した1985年当時はオリンピック競技場とも呼ばれていたが、その後サラエボの戦渦に巻き込まれたこともある。
 内戦が去り、平和が訪れた1998年に再び改装を行い、2004年にかつてのFKサラエボの名選手の名前をとってアシム・フェルハトビッチ・ハセ競技場と改称する。1998年の改装により収容人員は3万7500人に減ったが、オリンピックの開会式には5万人の観客が集まり、おそらくこの競技場での観客動員の最多記録は1980年代初めのFKサラエボとジェリェズニチャル・サラエボのダービーマッチであり、6万を超える観衆がこの小高い丘にある競技場に詰めかけたといわれる。

■注目されるボスニア・ヘルツェゴビナのメンバー

 ボスニア・ヘルツェゴビナは監督のスシッチやオシムがフランスのチームで活躍したが、その系譜は今も引き継がれ、今回のメンバーにもフランスに関係のある選手がいる。まず、本連載でも何回か紹介しているリヨンの神童、20歳のミラレム・ピヤニッチが右サイドの攻撃の起点となる。そして、ストッパーで主将を務めるのが30歳のモンペリエのエミル・スパヒッチである。フランスリーグでも屈指の優秀なストッパーであるスパヒッチはフランスの攻撃陣を熟知している。また、チームは昨年のワールドカップ予選の敗退を受けて若返ったが、若返らなかったのが中央の守備陣である。GKのケナン・ハセジッチは30歳、ストッパーはスパヒッチとサフェット・ナダレビッチの30歳コンビ、そして守備的MFのエルベル・ラヒミッチは34歳である。それ以外のメンバーは25歳以下というチーム構成である。
 さらに脅威と思われるのが、長身の攻撃陣である。CFのエディン・ジェコと右サイドの攻撃的MFのベダッド・イビゼビッチはともに身長1メートル92センチである。フランスの弱点と言えるストッパー人がこの長身選手にどのように対応するかが試合前の焦点である。
 ルクセンブルクを3-0と下して好発進したボスニア・ヘルツェゴビナに対し、フランスがどのような試合を進めていくのであろうか。(続く)

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