第1166回 ルーマニア、ルクセンブルクと連戦 (7) 予選で大物食いをしたルクセンブルク

■1996年欧州選手権予選では準優勝のチェコに勝利

 前回の本連載ではこれまでワールドカップと欧州選手権の予選でルクセンブルクの指定席が最下位であること、ルクセンブルクは小国であるがゆえに団体競技では振るわないが個人競技では自転車競技で優れた選手を輩出していることを紹介した。
 ルクセンブルクがワールドカップ、欧州選手権の予選で最下位を免れたことはこれまでに2回しかない。最初は1996年の欧州選手権予選のことである。この時はグループ5で、マルタに連勝しただけではなく、グループを首位突破したチェコにホームで1-0と勝利している。チェコの予選の成績は6勝3分1敗、つまり唯一の黒星をつけたのがルクセンブルクである。また、本大会でチェコはフランスを準決勝で破り、決勝に進出してドイツに敗れているが、本大会でチェコを破ったのはグループリーグでも同組になった優勝国ドイツだけであり、ルクセンブルクは大金星をあげているのである。

■アウエーでスイスに勝利した2010年ワールドカップ予選

 そしてもう1度は今回のワールドカップ・南アフリカ大会予選である。2008年9月に開幕したこの予選の初戦でルクセンブルクはギリシャをホームに迎え、0-3と敗れる。その3日後の9月8日、ルクセンブルクはチューリヒに乗り込み、スイスと対戦する。このアウエーの試合でルクセンブルクは先制点をあげる。一旦は追いつかれたが、終了間際の87分にルクセンブルクはアルフォンス・レーウィックが決勝点をあげて、歴史的な1勝をあげたのである。ルクセンブルクはこの予選でモルドバとホーム、アウエーとも引き分けて勝ち点を5とし、モルドバを抑えて5位に食い込んだのである。そしてルクセンブルク相手に黒星を喫したスイスは1996年欧州選手権予選のチェコ同様、6勝3分1敗という成績でグループ首位で本大会に進出、予選での唯一の黒星がルクセンブルク戦である。さらにスイスは本大会では優勝国のスペインを破った唯一のチームである。スペインに対して本予選通じて唯一の勝利をあげたスイス相手に勝利したのがルクセンブルクなのである。

■初めての国際試合、初めての遠征、初めての勝利はいずれもフランス戦

 このように、予選での最下位が指定席でありながら、指定席を脱出するときは大物食いというルクセンブルクを侮ってはならない。歴史をさかのぼれば、ルクセンブルクは1910年にFIFAに加盟し、最初の国際試合の相手はフランスであり、1911年10月29日にルクセンブルクはフランスを迎えているが、1-4と敗れている。そしてルクセンブルクは1913年には初めての国外での試合としてサントゥーアンでフランスと対戦、0-8と今度は大敗している。ところが、1914年2月8日にフランスをルクセンブルクに迎えた試合で5-4と勝利し、記念すべき初勝利をあげているのである。またこの試合はルクセンブルクにとって唯一のフランス戦勝利である。

■フランスリーグで活躍したロビー・ランジェ

 フランスと縁の深いルクセンブルクであるが、両国の力の違いもあり、その後は親善試合ではなく、ワールドカップや欧州選手権の予選で同じグループに入った時に対戦するにとどまっている。これらのタイトルマッチの予選では11回対戦し、フランスが11戦全勝という記録が残っている。
 そしてルクセンブルクは伝統的に多国籍の住民が多いが、その時々の政治経済の状況によってドイツ人が多かったり、イタリア人が多くなったり、ということが起きるが、フランス系の住民の比率はほぼ一定であり、外国籍住民のうちの15パーセント前後である。そしてチームとしてのルクセンブルクは弱小国であるが、選手個人レベルでは自転車競技同様、優れた選手を輩出し、フランスのクラブで活躍した選手も少なくない。
 その代表が1980年代から1990年代にかけて活躍したロビー・ランジェであろう。ルクセンブルクのチームで頭角を現したランジェはドイツのボルシア・メンヘングランドバッハを経てフランスのクラブに所属することになり、マルセイユ、メッスなどで活躍し、ハイライトはニースに所属していた1989-90シーズンであろう。前年に2部のオルレアンに所属し2部の得点王となったランジェは移籍したニースでも活躍し、ジャン・ピエール・パパンに次ぐ得点ランキング2位になった。ニースはその後財政危機に陥り、ランジェはカンヌに移籍するが、ビッグクラブに所属すれば欧州の舞台でも活躍する機会があったはずである。(続く)

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