第1170回 NBA開幕 (1) フランス人のNBAのパイオニアたち

■フランス人が活躍し、フランスで人気沸騰するNBA

 フランス人はビールを飲まない、マクドナルドを食べない、という神話を日本の読者の皆様は信じているようであるが、実際はそうではない。若者を中心にフランスの文化は劇的に変わっている。若者にとってアルコールと言えばビールである。そしてレストランで外食するのは特別な時だけで、マクドナルドなどのファストフードは家族連れで大盛況である。
 そしてこの傾向はスポーツの世界にも表れている。自転車、サッカー、ラグビーというフランスで伝統的に人気のあるスポーツに人気が迫ってきたのがバスケットボールである。米国生まれのスポーツはフランス人には人気がないというのも過去の話である。野球こそ人気はないがバスケットボール、アメリカンフットボールは多くのファンをフランスで獲得している。
 世界最高峰のバスケットボールのリーグであるNBAが10月26日に開幕し、フランス国内でも多くのスポーツファンが注目している。NBAがフランス国内で注目を集めるのはバスケットボールという競技そのものの人気に加え、多くのフランス人選手が新大陸で活躍していることに尽きるであろう。フランスの国内リーグに多くの米国人選手がおり、オールスターゲームもフランス人オールスター対米国人オールスターのような形で行われてきた。ところが、1990年代末から徐々にフランス人選手が海を渡るようになってきた。ちょうどこれは日本の野球と同じようなタイミングである。

■フランス人NBA第1号のタリク・アブドル・ワハッド

 フランス人として初めてNBAにチャレンジしたのはタリク・アブドル・ワハッドである。仏領ギアナ出身の親を持ち、パリ近郊のメゾンアルフォーで生まれ、ベルサイユで育ち、恵まれた身体を活かしてバスケットの道を歩む。ジュニア時代はフランス代表として欧州ジュニア選手権優勝に導き、米国のミシガン大学に進学しNCAAで活躍した後、サンホセ州立大に移る。1997年のドラフトでサクラメント・キングスに指名され、入団する。NBAでの活躍も認められ、1998年にはフランス代表入りし、フランス代表の支柱的役割を果たす。
 このアブドル・ワハッドの活躍に刺激され、2000年にはジェローム・モイゾがUCLAからボストンセルチックスにドラフト指名される。

■フランスのクラブからNBA入りしたトニー・パーカー

 第1号のアブドル・ワハッドと第2号のモイゾは米国の大学に在学し、米国の大学生としてドラフト指名を受けたが、第3号となったのがトニー・パーカーである。パーカーについては本連載第208回から第211回のNBAファイナルならびに第600回から第607回の2006年バスケットボール世界選手権で紹介したが、パーカーがNBAへと踏み出した道のりはその後のフランスのバスケットボールを変えることになる。パーカーは米国人の父とオランダ人の母の間でベルギーで生まれ、フランスで育ち、フランスとベルギーの国籍を有する。15歳でパリの国立体育・スポーツセンター(INSEP)に入学し、1999年には17歳でパリ・バスケット・ラシンとプロ契約、2年目にはチームの主力となる。フランスのクラブの主力プロというステータスで2001年のドラフトでサンアントニオスパーズに入団する。それ以降の活躍については上記の連載などで紹介しており、今回の連載で改めて紹介する必要はないであろう。

■現役のフランス代表としてNBA入りしたアントワン・リゴードー

 米国の大学ではなく欧州のクラブでプロとして活躍しているパーカーのNBA入りはフランスのトップクラスの選手を米国へと誘った。パーカーもNBA入りした時はまだ19才であり、代表チームに入っていなかったが、現役の代表のスター選手がNBA入りするようになったのが2003年以降のことである。フランス人として4人目のNBAプレーヤーになったアントワン・リゴードーはバスケットの盛んなショレの出身でショレ大学を出て1987年にショレとプロ契約、そして1990年にはフランス代表入りし、1991年の欧州選手権での準決勝進出に貢献する。1995年にはショレのライバルのポー・オルテッズに移籍、そして1997年にイタリアのクラブに移り、2003年にドラフト外でダラス・マーベリックスへ入団したのである。(続く)

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