第107回 2004年欧州選手権予選開幕(3) 1980年代最後の試合でキプロスに完勝

■ワールドカップ・スペイン大会出場を決定したキプロス戦

 過去のフランスとキプロスの対戦は4回。実力に差がある両国の対戦はワールドカップや欧州選手権の予選に限られる。今まで2回、フランスはキプロスとワールドカップの予選で同じグループに入っている。
 最初は1982年のスペイン大会。アルゼンチン大会に続く連続出場を狙うフランスはオランダ、ベルギー、アイルランド、キプロスと予選を戦い、上位2チームに本大会出場権が与えられる。1980年10月に行われた予選の初戦はアウエーでのキプロス戦。初顔合わせとなるこの試合、フランスは7-0と大勝し、ピレネー越えの好スタートを切る。ところが強豪ぞろいのこのグループ2でフランスも苦戦し、アウエーでオランダ、ベルギー、アイルランドに3連敗を喫する。1981年10月の段階で、ベルギー、アイルランドは一足早く全日程を終了し、ベルギーは勝ち点11で本大会出場が決定、アイルランドは勝ち点10(得失点差+6)でフランスとオランダの結果次第である。勝ち点6(得失点差+6)で4位のフランスはホームでオランダ(勝ち点9、得失点差+6)、キプロス(勝ち点0、得失点差-21)との試合を残している。
 1981年11月18日のオランダ戦は今でも語り草である。フランスは前回準優勝でヨハン・ニースケンス、ヨハン・レップなどを擁するオランダを2-0と下し、パルク・デ・プランスは歓喜の渦に飲み込まれる。しかし、この段階ではまだグループ4位であり、アイルランドに勝ち点2差、オランダに勝ち点1差に迫っただけである。フランスがスペイン行きのチケットを獲得したのは1981年12月5日のパリでのキプロス戦。この試合も4-0と大勝し、グループ2位に滑り込む。結局フランスは強豪3チーム相手にホームで勝ってアウエーで負け、キプロスだけに連勝して本大会の出場権を獲得した。キプロスに取りこぼしていれば、出場権を獲得できなかったわけであり、翌夏のスペインでの西ドイツとの死闘も実現しなかったのである。

■キプロスに引き分けて調子を崩したワールドカップ・イタリア大会予選

 そしてもう1回が前回の本連載でも紹介した1990年のイタリア大会のことである。この予選では、序盤のキプロス戦の思わぬ引き分けで結果的にイタリア行きを逃すことになったフランスであるが、キプロス戦の引き分けの後、フランス代表の監督はアンリ・ミッシェルからミッシェル・プラティニへと交代する。更迭された前任者と似たような経歴を持つプラティニもチームをすぐに立て直すことはできず、就任直後に乗り込んだベオグラードのユーゴスラビア戦で2-3と敗れ、年が明けた2月のグラスゴーでのスコットランド戦も0-2と連敗する。強豪のスコットランド、ユーゴスラビアとのアウエーでの戦いが続くというめぐり合わせの悪さはあったものの、予選後半戦の初戦となるパリでのユーゴスラビア戦でスコアレスドロー。5試合消化した時点で1勝2分2敗となり、国民の期待も少なくなる。

■ディディエ・デシャンの加入後、チーム力は急上昇、スコットランドを撃破

 ところがこの試合でデビューしたディディエ・デシャンを軸にチーム力は急上昇し、アウエーのノルウェー戦を引き分けに持ち込み、10月には引き分け以上なら本大会出場権を獲得するスコットランドをパリに迎え、3-0と一方的な試合で下す。スコットランドは11月15日のホームでのノルウェー戦を引き分けに持ち込み、本大会への出場権を獲得する。

■1990年代の予感を漂わせたキプロス戦

 そして1989年11月18日、オランダ戦のちょうど8年後、フランスはトゥールーズでフランスに引き分けた以外勝ち点すら上げられないキプロスと対戦する。すでにイタリア行きのチケットは逃していたが、目の前の相手に集中し、すばらしい試合をすることができたのがこの時のフランス代表の強さであった。フランスのゴールを守るのはこれが代表50試合目で、代表として最後の試合になるジョエル・バツであったが、なんと一方的な試合でフランスのシュート数は25、一方のキプロスは0であり、1980年代のフランスを代表する名手バツはシュートを受けることなくして代表のユニフォームを脱いだのである。この試合前半にデシャン、後半にローラン・ブランが得点を上げ2-0と勝つ。グラスゴーではスコットランドがノルウェーと引き分け、イタリア行きはならなかった。
 この試合は記録の上ではフランスが一歩イタリアに届かなかった試合にしかならない。しかし、1980年代最後に行われたこの試合は光と影の交錯する1990年代を暗示させる試合であった。デシャンはこの試合が代表5試合目、ブランは代表6試合目であった。後に2人合わせて200試合以上代表の試合で戦うことになるデシャンとブランが揃ってゴールを上げた最初の試合である。そしてバツは代表ユニフォームを脱ぎ、1990年代のフランス第1GKはブルーノ・マルティニ、ベルナール・ラマ、ファビアン・バルテスへと受け継がれたのである。(続く)

このページのTOPへ