第1392回 2012年フランスカップ決勝(4) リヨン完勝、4年ぶりのタイトル獲得
昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■史上初の快挙を目指すクビリー、取りこぼしの少ないリヨン
ナショナルリーグのクビリーはナショナルリーグのチームとしては1996年のニーム、2001年のアミアンに続き、史上3度目のことであるが、これまでの2チームはいずれも決勝で敗れており、クビリーは史上初の快挙を目指す。そしてクビリーの決勝進出は1927年以来85年ぶりのことであるが、85年ぶりの決勝進出はもちろんフランスカップ史上最も間隔の離れた決勝進出である。
クビリーとリヨンとは1度だけフランスカップで対戦したことがある。1968年3月10日に行われたベスト8決定戦、この試合でクビリーはダニエル・オルラビルのあげたゴールで1-0と勝利している。またクビリーは今年のフランスカップではマルセイユとレンヌという1部勢を倒しているが、2年前もレンヌとブローニュ・シュール・メールという当時の1部勢を倒し、現在フランスカップでは1部勢相手に4連勝中である。
4年ぶりのタイトルを目指すリヨンであるが、フランスカップでの取りこぼしは少なく、3部に相当するリーグのチームに負けたのは1993年のポン・サン・エスプリ戦が最後であり、20年近く3部勢以下のクラブには負けておらず、現在7連勝中である。
■サッカーのテレビ中継が60周年となるフランス
さて、4月28日の決勝戦がキックオフされる。スタンドには現在のニコラ・サルコジ大統領、そしてサッカー選手に高率の税金を課すとして物議をかもしたフランソワ・オランド候補、1週間後に決選投票を迎えるもう1つのファイナリストの姿も見える。
8万大観衆のほとんどは黄色と黒のクビリーの応援に回り、リヨンは脇役に追いやられてしまう。この一戦はフランス国内だけではなく世界各国にテレビ中継されるが、今年はフランスでサッカーのテレビ中継が始まってちょうど60年、1952年5月4日、フランスカップ決勝のニースとボルドーの試合がフランスでのサッカーの初めてのテレビ中継であるが、当時はテレビ受像機はわずか8万台、おそらくコロンブ競技場に集まったファンは6万人以上であるから、恐らくはテレビで観戦した人口よりもスタジアムで直接観戦した人のほうが多かったであろう。まさに隔世の感である。
■クビリーの健闘も序盤だけ、リヨン完璧な試合運び
国内外で注目の一戦の笛を吹くのは今季で引退を表明している45歳のエルベ・ピッチリロ氏、クビリーのキックオフで始まりいきなりクビリーはCKのチャンスを得る。また、試合の序盤はクビリーもパスを回し、黄色と黒の大応援団が「オレ!」の掛け声をスタッド・ド・フランスにこだまさせる。しかしクビリーの検討も序盤だけであった。この一戦にかけるリヨンの執念がすべてにおいて勝る試合であった。今季のリヨンの得点源はアルゼンチン人のリサンドロ・ロペスとバフェタンビ・ゴミスである。この2人でリーグ戦ではチームの半分以上の得点を挙げている。この日も1トップにゴミス、左のウイングにリサンドロ・ロペスを配し、右のウイングには急成長中のアレクサンドル・ラカゼット、そして攻撃的MFの中央にはヨアン・グルクフという万全の態勢のリヨンが終始試合を支配する。クビリーはなすすべもなく守勢一方に追いやられてしまう。
■スタッド・ド・フランスでの長い沈黙を破ったリサンドロ・ロペスのゴール
そしてリヨンがクビリーのゴールを始めて脅かしたのは24分のことであった。ラカゼットのシュートが枠をとらえる。実はリヨンはリーグカップ決勝のマルセイユ戦では延長まで戦ったが、枠内のシュートがなく、実に2試合目で初めての枠内シュートであった。そして、脇役に回ってしまったリヨンの初ゴールが生まれたのは28分のことであった。今季リーグ戦でも得点を重ね、フランスカップでも5試合に出場し6得点というリサンドロ・ロペスがゴールを決める。
クビリーは完全にリヨンに封じられてしまい、無得点に終わる。リヨンは1店という最少得点を危なげなく守りきり、二冠を獲得した2008年以来、5度目のフランスカップの勝者となった。
2000年代に入ってリーグ戦では無敵を誇ったリヨン、2007-08シーズンを最後に国内外のタイトルから見放されていたが、4年ぶりのタイトルを獲得したのである。(この項、終わり)