第125回 パリサンジェルマン対マルセイユ(3) 厳戒態勢の中、パリサンジェルマン歴史的大勝
■1980年代のフランスのスタジアム
1990年代に入って双方のライバル意識が強くなってきたパリサンジェルマンとマルセイユの関係であるが、このボルテージの上昇はサッカー場におけるフーリガンの誕生とも無縁ではない。1980年代から欧州各国で問題になってきたフーリガンであるが、フランスの場合、1980年代においては熱狂的なサポータークラブが存在しても、それらは特定の政治的な思想を持つ集団ではなかった。したがって、1980年代のフランスのスタジアムは他国のスタジアムに比べて安全な場所であった。これは当時、人権問題をなによりも重視するフランソワ・ミッテランが大統領であったことも大きく影響しているであろう。
■1990年代以降に変化したスタジアム風景
ところが1990年代に入り、スタジアムに陣取るサポータークラブの中には政治的な思想を持つものが出てきた。ここでフランスのスタジアムは他国同様危険な場所へと変わってしまう。パリの場合、市内は保守の牙城であり、移民が多く住む周辺、特に北東部は逆に共産党勢力が強く、スタジアムでのデモンストレーションは彼らにとって絶好の機会となった。また、マルセイユも多くの移民を抱える地域であるが、マル
セイユをビッグクラブにした元会長のベルナール・タピはジャン・マリー・ルペン党首率いる国民戦線と激しい選挙戦を繰り広げたことがある。スタジアムの中に政治、特に移民問題が介入することになり、残念なことにこの両チームの対戦の際には両チームの熱狂的なファンだけではなく、政治的なバックグラウンドを抱える集団のボルテージも高くなるのである。今回の対戦でも約100人の極右思想を持つサポーターがスタジアムに陣取った。
パリサンジェルマンとマルセイユの試合は、セキュリティのために当日券の販売はなく、入場券を所有していなければスタジアムの周辺にも近寄ることはできない、そしてアウエーチームのサポーターは警官と金網に囲まれた中で試合を観戦する、というような緊迫した状態の中で行われてきた。それでも残念なことに、両者の対戦において多くの事件が起こってきた。昨シーズンはマルセイユでの試合でトラブルが起こり、マルセイユは以後のホームゲームを中立地で行うという制裁を受けた。
■セキュリティ確保のため、異例の試合開始時間変更
1993年に施行された際のシャルル・パスクワ内務大臣の名前から「パスクワ法」と呼ばれる法律により、ホームゲームのセキュリティを確保することはクラブの責務である。4万人の観衆の中でトラブルの原因となるのはマルセイユから駆けつけた1000人と極右思想を持つ100人である。彼らが問題を起こさないためにパリサンジェルマンならびにパリ市警は試合開始時間の繰り上げという異例の措置を取った。
通常20時にキックオフされる試合が、パリ市警から「夜間の試合ではセキュリティの確保に問題があるので、イングランドのように昼間の15時にキックオフしてほしい」という申し出があった。結局、テレビ中継も勘案して17時15分キックオフということになったが、セキュリティの問題で試合時間が変更になったことは異例であろう。
そして昨年は1100人が出動した警官が今年は2000人に増強された。試合時間の繰り上げは警官の確保のためにも必要であった。またスタジアムから半径300メートル以内では試合日の13時から21時までアルコールの販売が禁止された。
■南米勢の活躍でパリサンジェルマン完勝
このような異例とも言える厳戒態勢の中で試合はキックオフされた。前回紹介した通り、パリサンジェルマンは近年、パリでのマルセイユを苦手としている。ところが、15分、ブラジル代表として世界チャンピオンになったロナウジーニョの先制点で試合はあっさりと決まった。38分には18歳のナイジェリア代表、バルソロミュ・オグベチェへのファウルで得たPKをロナウジーニョが決めて2-0となる。
後半に入っても波に乗るパリサンジェルマンはマルセイユのゴールを次々と襲う。結局82分にアルゼンチン人コンビが活躍し、イバン・ハインツからのパスを受けたマウリシオ・ポチェッティーノがゴールを決める。当初800枚しかチケットがホームチームから割り当てられなかったところを交渉して1000枚に増やしたマルセイユからのサポーターもすっかり意気消沈。3-0というスコアで試合は終了し、パリサンジェルマンにとっては1977-78シーズンの5-1というスコアに続く記録的な大勝である。ニースに代わり3連勝のパリサンジェルマンは2位に浮上した。
そして何よりうれしいことは、特段のトラブルもなく試合が行われたことである。かつてマルセイユのサポータークラブは「暴力的ではなく、雰囲気は最高」と言われた。マルセイユでの試合は来年3月8日、フランスのスタジアムが再び素晴らしい雰囲気に包まれることを願ってやまない。(この項、終わり)