第1440回 ディディエ・デシャンの新生フランス(3) ルアーブルの新スタジアムで初陣を飾れるか
昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■ルアーブルでの代表戦は88年ぶり
ディディエ・デシャン監督率いる新生フランスの第1戦はルアーブルで行われる。ルアーブルでフランス代表の試合が行われるのは1924年以来実に88年ぶりのことである。
本連載の読者のみなさんであれば、ルアーブルで88年ぶりに試合を行う理由を想像することは難しくないことであろう。ルアーブルはノルマンディーの港町であり、ルアーブル港と大阪港は姉妹港となっている。日本では橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会が注目を集めている。当然その勢いはこのフランスの地まで影響がある。大阪港と姉妹港であるルアーブル港のある都市で代表戦を行うことは日仏の政治経済的な関係を考慮すれば、最適な選択肢であると言えよう。
■ルアーブルの新スタジアム、大西洋競技場
88年前のフランス代表の試合はハンガリーを迎え、カベ・ベルト競技場で行われ、フランスは0-1で敗れている。このカベ・ベルト競技場は1872年創立とフランスでは屈指の歴史を誇るルアーブルACが1970年まで使用し、その後ルアーブルACはジュール・デシャソー競技場を使用し、カベ・ベルト競技場は現在ルアーブACルの育成機関が使用している。そしてこのたび、ルアーブルに誕生したのが2万5000人収容の大西洋競技場である。近代的な競技場がフランス各地で建設されているが、この大西洋競技場のセールスポイントはそのエネルギー源である。太陽光パネルが屋上には並べられ、トイレなどの水もリサイクルされた水が使用される。したがってこれまでの競技場よりもはるかに少ないコストで運営されるのである。
この大西洋競技場のこけら落としは7月12日にリールを迎えてルアーブルとの間で親善試合が行われ、2部リーグの開幕戦も7月27日にアルル・アビニョンを迎えて行われたが2試合ともルアーブルは1-2で敗れており、地元のファンは地元チームの勝利をまだ見ていない。この日集まった2万5000人のファンはデシャン監督率いるフランス代表の勝利を祈っている。
■新監督で勝利をあげたエメ・ジャッケ
ところで気になる新監督の戦績であるが、最近の新監督は勝ち星から見放されている。ワールドカップ、欧州選手権が監督の交代時期であるが、1994年ワールドカップ予選で敗退したフランス代表は、ミッシェル・プラティニ監督の後を受け継いだエメ・ジャッケ監督が2月に新チームを結成、前年秋の予選でイスラエル、ブルガリアに連敗してショックを引きずる中でアウエーの試合でイタリアを破るというまさかの勝利でスタートした。
■4人連続して初戦は勝ちから見放される
しかし、それ以降、就任初戦で白星をあげた新監督はいない。1996年の欧州選手権でベスト4に進出し、1998年ワールドカップ優勝で勇退したジャッケ監督の後はロジェ・ルメール監督であった。2000年欧州選手権で優勝するという黄金時代、ほぼワールドカップ優勝メンバーで臨んだ初戦はオーストリアとの夏の親善試合、しかしながら2-2のドローとなる。
2002年のワールドカップで優勝候補最右翼と言われながら開幕戦でセネガルに敗れたフランス、ロメール監督は退陣し、ジャック・サンティーニ監督が就任する。サンティーニ監督も初陣は夏の親善試合。相手はフランス同様ワールドカップのグループリーグで敗退したチュニジアであった。この試合もチュニジアと1-1の引き分けに終わる。
ポルトガルでの欧州選手権、開幕戦でイングランド相手に劇的な勝利を収めながら、決勝トーナメント初戦で伏兵のギリシャに敗れ、サンティーニ監督は2年でフランス代表監督の座を去る。
短期政権の後は長期政権となった。アンダーエイジの監督を長く務め、選手を知り尽くしていたレイモン・ドメネク監督が就任する。様々な批判を浴びながらも最初の国際大会となった2006年ワールドカップでは準優勝する。しかし、子のワールドカップ準優勝チームもその2年前のスタート段階ではホームのボスニア・ヘルツェゴビナ戦で1-1の引き分けであった。
そして記憶に新しいのは2年前、ドメネク退陣後、ローラン・ブラン監督はワールドカップ出場組を除いてチーム編成せざるを得なかったが、ノルウェーに1-2と敗れている。
さて、デシャン監督は自らが現役時代に初めて迎えた新監督以来となる初陣の勝利を手に入れることができるだろうか。(続く)