第1507回 政情不安の中でアフリカ選手権開幕(4) マリのパトリス・カルトロンとコートジボワールのサブリ・ラムシ

 一昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■過半数が外国人の監督を起用

 前回まではフランスのクラブに所属し、アフリカ選手権に出場する選手について紹介してきたが、今回はアフリカ選手権に出場するフランス人の監督を紹介しよう。
 代表チームの監督に自国人を起用しているのは16か国中7か国だけであり、過半数は外国人の指揮官を招いている。自国人の監督を起用しているのは南アフリカ、カーボベルデ、モロッコ、ガーナ、エチオピア、ナイジェリア、チュニジアである。 フランスから独立して今大会に出場している8か国のうち、自国人の監督を起用しているのはモロッコとチュニジアの2か国だけである。

■自国人監督のモロッコのラシッド・タウシとチュニジアのサミ・トラベルシ

 モロッコの監督は昨年就任したばかりのラシッド・タウシである。昨年10月にモロッコがアウエーでモザンビークに敗れて辞任したベルギー人のエリック・ゲレツの後の監督に就任している。前任のゲレツはPSVアイントホーヘン(オランダ)の一員として東京で行われたインターコンチネンタルカップにも出場したことから日本の皆様はなじみがあったが、新監督のタウシは、1995年から2000年まで代表チームのコーチを務めていたが、選手としても監督としてもほぼモロッコ国内にとどまっていることから、日本の皆様はよくご存じでないかもしれないが国民の信頼の厚い監督である。就任初戦のマラケッシュでムのモザンビーク戦で見事に4-0と勝利し、本大会出場に導いた。
 チュニジアの監督は前回大会同様サミ・トラベルシである。2002年に日本とワールドカップで対戦した際に出場したハテム・トラベルシとは別人物であるが、1998年ワールドカップの際の主将を務めており、日本の岡田正義氏が主審を務めたイングランド-チュニジア戦でアラン・シアラーとコイントスを行った選手である。

■ディジョンからマリに移ったパトリス・カルトロン

 この2か国以外の6か国は外国人監督である。フランス人を起用しているのはマリ、コートジボワール、トーゴの3か国である。多くのフランスのクラブに所属する選手を抱えるマリは昨年のこの大会ではアラン・ジレスが監督を率い3位になったが、ジレスは5月に代表監督を辞任し、パトリス・カルトロンが7月に就任している。カルトロンと言えば日本の皆様はよくご存じであろう。松井大輔の所属していたディジョンの監督を2007年から務め、リーグ最年少監督でありながらチームを2部から1部に昇格させた。しかし、1シーズン限りでディジョンは2部降格、この責任を取って2012年5月に監督の座を辞任し、7月にマリの監督に就任した。カルトロン自身は選手としても活躍したが、国外での経験はほとんどなく、41歳でアフリカの地に渡り、初めてのチャレンジがこのアフリカ選手権である。

■チュニジア系フランス人のサブリ・ラムシ、コートジボワール代表監督として指導者デビュー

 優勝候補のコートジボワールの監督はサブリ・ラムシである。リヨン生まれでありながらチュニジア系のラムシはオセールで活躍し、1994年にはチュニジア代表に選出される。しかし、チュニジア代表として選ばれて試合ではベンチにとどまり、1996年の欧州選手権のフランス代表に選出される。1998年の自国開催のワールドカップでは直前に代表から外れ、傷心の身となり、オセールからモナコへ移籍する。
 このモナコでの活躍は今でも語り継がれる。特にミレニアムを迎えた1999-2000シーズンのモナコは圧倒的な強さを誇りその攻撃の中心がこのラムシであった。ラムシはこの活躍でイタリアのパルマに移籍。パルマでは日本の中田英寿とチームメートであった時期もあることから日本の皆様はよくご存じであろう。インテルミラノ、ジェノアというイタリアのクラブを経てマルセイユに復帰、マルセイユで大活躍するが、34歳のラムシは厳しいポジション争いを嫌い、カタールのクラブに移籍する。カタールのクラブで37歳までプレーし、2009年に現役を引退、初めての指導者が豪華メンバーのコートジボワール代表監督なのである。(続く)

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