第1517回 ナイジェリア、3度目の優勝(4) ナイジェリア優勝、ブルキナファソから最優秀選手

 一昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■パトリス・カルトロン監督率いるマリが3位

 マリにおけるイスラム武装勢力の活動、フランス軍の軍事介入、アルジェリアの国際天然ガスプラントで起こった人質事件、さらにナイジェリアやカメルーンにおいても人質事件が連続して起こり、アフリカは揺れている。当初リビアで開催予定だった回目のアフリカ選手権も3位決定戦と決勝を残すだけとなった。
 マリとガーナの間で行われた3位決定戦は前半に1点を先行したマリが後半は一方的に攻め、後半の立ち上がりとロスタイムに得点を奪う。ガーナは1点を返すにとどまり、フランス人監督パトリス・カルトロンは3位で大会を終了、新人監督として期待に応えた。

■ストラスブールで活躍したナイジェリアのステファン・ケシ監督

 2月10日にヨハネスブルクのサッカーシティ競技場で行われる決勝は19年ぶりの優勝を目指すナイジェリアと初優勝を目指すブルキナファソの顔合わせである。ブルキナファソの監督のポール・プットは本連載第1500回で紹介した通り、ベルギー人でありベルギーのリールセの監督を務めていた2004-05シーズンに中国人が仕組んだ八百長事件に巻き込まれ、ベルギーサッカー界から追放され、アフリカの地に仕事を求めたという経緯があり、ちょうど世界的な八百長事件が起こったため一躍時の人となった。
 一方のナイジェリアを率いるステファン・ケシはナイジェリア人であるが、フランスにゆかりのある監督である。1993年から1993年までの2年間、フランスのストラスブールに所属している。現在はアマチュアチームとなってしまい、4部に相当するCFAに所属しているチームであるが、2007年までは1部に所属し、リーグ優勝1回、フランスカップ優勝3回を誇るチームである。ケシは2季在籍したが、1年目は2部に所属し、2位になり1部昇格、2年目は1部で8位に入っている。ケシはストラスブールに来る前はアンデルレヒト、ストラスブールを離れてからはRWDモレンビークとベルギーのクラブに所属している。ケシがベルギーのクラブでプレーしていた時、プットは2部など下部のリーグのクラブの監督を務めており、直接対決したことはない。
 この2人が対決したのは決勝のちょうど20日前、グループリーグでの対戦である。グループリーグの初戦となるこの試合、ナイジェリアは前半ロスタイムにエマニュエル・エメニケが先制点をあげ、このまま逃げ切るかと思われたが、後半のロスタイムの94分にブルキナファソはロリアンに所属するアラン・トラオレのゴールで引き分けに持ち込んでいる。

■国内組のサンデー・エンバのスーパーゴールで優勝を決める

 準々決勝は延長戦、準決勝はPK戦と苦戦してきたブルキナファソはトラオレを負傷で欠く厳しい布陣、一方のナイジェリアは準々決勝はいったんは追いつかれたものの2-1とコートジボワールを下し、準決勝はマリに4-1と大勝し、欧州のビッグクラブで活躍するスターがチームを引っ張る。ケシ監督はこれら欧州組だけではなく、国内のクラブにいる選手も起用する。この試合、9万人の大観衆を驚かせたのは、国内組のサンデー・エンバであった。エンバは40分にスーパーゴールを決める。この1点をナイジェリアは守りきり、19年ぶり3回目の優勝を決める。
 ケシは19年前の優勝時は選手として優勝しており、選手としても監督としてもアフリカ選手権を制した。選手としても監督としても優勝した経験があるのはこれまでにただ1人、エジプトのマハムード・エル・ゴハリだけである。エル・ゴハリは1959年の第2回大会で選手として優勝し、1998年大会は監督として優勝している。エル・ゴハリはその後ヨルダンの監督としてアジアカップで日本を苦しめていることから日本の皆様の良くご存じであろう。

■Jリーガーとして初めてアフリカ選手権に出場したウィルフリード・サヌー

 そして今大会、準優勝に終わったブルキナファソであるが、ジョナタン・ピトロイパが最優秀選手に選ばれた。また、決勝戦は後半に京都サンガに所属するウィルフリード・サヌーが出場した。サヌーは2010年大会もエントリーしたが出場機会はなく、今大会はJリーグに所属する選手として初めてアフリカ選手権に出場しただけではなく、決勝戦にも出場し、20周年を迎えるJリーグの新たな歴史を作ったのである。(この項、終わり)

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