第1683回 フランスカップ準々決勝(1) CFAのムーラン、2部のアンジェにPK負け

 3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■2部以下のチームからセミファイナリスト

 本連載第1669回から第1671回でフランスカップのベスト8決定戦の模様を紹介したが、準々決勝4試合は1月半後の3月25日から27日にかけて行われた。
 準々決勝最初の試合はCFAのムーランと2部のアンジェの対戦である。ベスト8には1部勢以外のチームが4つ残ったが、2部以下のチーム同士の顔合わせはこのカードだけである。すなわちベスト4に1部以外のチームが少なくとも1チーム残ることになる。

■グーニョンに舞台を移したムーラン

 4部に相当するCFAのムーランは4回戦から参戦し、ここまで8つのチームを下してきたが、上位のリーグに所属しているチームとの対戦はベスト16決定戦のトゥールーズ(1部)戦だけである。1月21日のトゥールーズ戦はホームゲームであったが、本来の本拠地であるムーランのエクトール・ローラン競技場で定員を大きく上回る3500人の観衆を集めて行われ、2-1と逆転勝ちした。
 ムーランはこのアンジェ戦もホームゲームとなるが、アリエ県内では押し寄せる地元ファンを収容する能力を持つ競技場がない。同じアリエ県のイズールはベスト16決定戦のリヨン戦でクレルモンフェランに移動したが、ムーランは隣のサオーヌ・エ・ロワール県のグーニョンのジャン・ラビユ競技場に舞台を移すこととなった。グーニョンというと1998年に日本が初めてワールドカップに出場した際に合宿中に練習試合を行った相手であることから日本の皆様はよくご存じであろう。
 一方のアンジェ、ベスト8決定戦時は2部リーグで2位であったが、その後なかなか勝ち点を重ねることができず、7試合で1勝3分3敗という成績でわずかに勝ち点6しか獲得できず、リーグ順位も4位に後退、1部復帰圏内から陥落してしまう。特に3月に入ってからの5試合は1勝もできず、調子を落としているが2つレベルの低いCFAのチーム相手に勝利して、復調して1部復帰も目指したいところである。

■アンゴラ生まれ、フランス育ちでコンゴ民主共和国代表のペドロ・カマタ

 試合はムーランからの9000人の応援団を含め、12000人近くの満員の観衆の中でキックオフされた。CFAとなるとほとんどの選手はアマチュアであり、フランス国籍であるが、ムーランには唯一例外的な選手がいる。それがMFのペドロ・カマタである。アンゴラ人の父とザイール(コンゴ民主共和国)人の母を持つカマタはアンゴラ生まれであるが、アリエ県に移住し、オセールの下部組織に所属する。その時にフランスの20歳以下の代表に選出される。その後、フランスだけではなくオランダ、イタリアのクラブにも所属し、両親の母国から代表入りの声がかかる。2006年のワールドカップを目指すコンゴ民主共和国代表、2006年のアフリカ選手権を目指すアンゴラ代表から声がかかったが、当時のFIFAの規定では、年齢別代表に選ばれた選手のフル代表での国籍変更は21歳以下という年齢制限があり、フル代表への道が閉ざされたかに見えた。しかし、その後の規定変更により、2010年にようやくコンゴ民主共和国の代表として試合に出場する。
 このカマタもすでに32歳、イタリアから幼少時を過ごしたフランスのアリエ県に戻る。今大会でベスト16決定戦でリヨンに敗れたイズールでプレーし、2012年からムーランに所属し、フランスカップ準々決勝進出の立役者になった。

■数的優位に立ったムーラン、2部の意地を見せたアンジェ、双方ノーゴール

 試合は34分にアンジェの選手が退場となり、ムーランは数的優位に立つが、両チームなかなか得点をあげることができず、延長戦となる。延長戦の30分でも結局ノーゴール、準決勝への切符はPK戦に委ねられることになった。
 PK戦では先蹴のアンジェ、後蹴のムーランとも最初のキッカーが失敗、2人目はアンジェは成功、ムーランは失敗する。3人目以降は両チームとも全員が成功、アンジェの5人が成功させたところでアンジェの勝利が決まった。
 ムーランは史上4回目の4部勢としての準決勝進出という夢を実現することはできなかったが、イズールとともにアリエ県のサッカーを盛り上げたのである。(続く)

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