第1701回 フランスカップ、ファイナル(6) ギャンガン、またレンヌを下し2度目の優勝
3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■サッカーの試合で3番目に多い8万観衆を集めたブルターニュ対決
5年前の決勝の再現となったレンヌとギャンガンの決勝戦、今回もまたスタッド・ド・フランスは両チームのチームカラーである赤と黒、そしてブルターニュのカラーである白と黒に染まった。この日のスタッド・ド・フランスの観客数の発表は80,000人、サッカーの試合の最多動員記録である5年前の80,056人にわずかに及ばないが、サッカーの試合としては史上3番目に多い数字である。 ちなみにスタッド・ド・フランスの観客動員数の上位はラグビーの試合が占めており、観客動員数の十傑のうち8つを占めている。そのベスト10入りした2つの試合が2009年5月9日のフランスカップ決勝ギャンガン-レンヌ戦の80,056人であり、もう1つは2007年6月2日の欧州選手権予選のフランス-ウクライナ戦の80,051人である。それらに続き、80,000人という公式発表となったのが今回のフランスカップ決勝と本連載の第5回から第12回にかけて取り上げた2001年10月6日のフランスとアルジェリアの親善試合である。すなわち、このブルターニュの2つのクラブの対戦が、マルセイユ、パリサンジェルマン、リヨンというビッグクラブを押さえ、クラブチーム同士の試合で観客動員数で歴代1位と2位を占めているのである。
■フランスカップ男、レンヌのシルバン・アルマン、ギャンガンのリオネル・マティス
さて、レンヌは右半身が黒、左半身が赤という来季使用予定のユニフォームでピッチに立つ。アウエー扱いとなるギャンガンは白で右の肩から腕にかけて黒がアクセントとなるユニフォーム、両チームにはフランスカップ男ともいうべき選手がいる。
レンヌのストッパーのシルバン・アルマンはパリサンジェルマンで活躍し、2006年と2010年にそれぞれフランスカップで優勝、さらに2008年にはリーグカップで優勝している。チアゴ・シウバの加入により押し出される形でレンヌへの移籍となったが、リーグカップを獲得し、リーグ優勝を狙うパリサンジェルマンを見返すつもりでタイトルを取りたいところである。
一方のギャンガン、主将で守備的MFのリオネル・マティスは32歳、かつてはオセールに所属し、2003年と2005年にフランスカップで優勝、さらに5年前にはギャンガンの一員として優勝している。
■先制点をあげたギャンガン
試合は赤と黒のユニフォームのレンヌのキックオフで始まったが、試合を支配したのは白いユニフォームのギャンガンだった。特にマティスを中心とする中盤はレンヌにボールを持たせず、ギャンガンのペースとなる。レンヌも低い位置ではボールを持つことができるが、攻撃を組み立てられないまま、試合は進んでいった。この試合の流れ通り、先制点を奪ったのはギャンガンであった。37分、右サイドからのクロスを2トップの1人であるクリストフ・マンダンヌがつなぎ、右サイドDFのジョナタン・マルタン・ぺレイラがボレーでネットを揺らす。ギャンガンは終始攻勢に出てハーフタイムを迎える。
■ムスタファ・ヤタバレ追加点、決勝戦では20年ぶりの2点差以上の勝利
後半に入る段階でレンヌは選手交代をせず、ピッチに入るが、開始早々の46分、準決勝のモナコ戦のヒーロー、ムスタファ・ヤタバレが決勝でもヒーローとなる。今度は左サイドからの攻撃、スティーブン・ランジルはペナルティエリア内でフリーとなっていたヤタバレにクロスをあげ、ヘディングでゴールを決め、2-0とリードを広げた。このままギャンガンが2-0で勝利し、5年ぶり2回目のフランスカップ優勝を果たす。今回もレンヌはギャンガンに勝つことができなかった。また、このところ決勝戦は1点差の試合が続いていたが、2点差以上の差がついたのはなんと1994年のオセール-モンペリエ戦(3-0)以来のこととなった。ブルターニュ勢同士の顔合わせであったが、観客動員、2点差と記録に残る決勝となった。
■初タイトルを獲得したブルターニュ出身のジョセリン・グルベネック監督
最後の紹介となったが、ギャンガンの監督はジョセリン・グルベネック、ブルターニュのブレスト出身で現役時代はナント、レンヌ、マルセイユなどで活躍したが、タイトルには縁がなかった。2010年からはギャンガンの監督を務め、現役時代も含め、うれしい初タイトルとなったのである。(続く)