第1715回 ホンジュラスに快勝(1) 港町ポルトアレグレでの開幕戦
3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■15時間かけてブラジルに移動
6月8日に行われた仮想ホンジュラスのジャマイカ戦に8-0と勝利したフランスは、その翌日にブラジルに向かった。フランス代表の一行は6月9日10時にリールを離陸し、まずサンパウロへと向かう。そしてサンパウロで乗り換えて1時間のフライトでキャンプ地のリベイラン・プレトに着く。現地時間で20時、フランスとは5時間の時差があるため、リールを出てから15時間後に目的地に到着した。
■キャンプ地リベイラン・プレトでの練習
早速翌日から練習を始める。初日は地元クラブのボタフォゴのサンタ・クルス競技場で公開練習、収容人員3万5000人の競技場には1万人の地元ファンが見学に訪れた。このボタフォゴというクラブはリオデジャネイロのボタフォゴとは別のクラブであるが、かつてパリサンジェルマンで活躍したライーも在籍したことがあり、フランスにはゆかりのあるクラブである。また日本がワールドカップに初出場した際の原動力となった呂比須ワーグナーが監督を務めたこともあることから日本の皆さんにはおなじみのクラブであろう。
練習2日めの11日の水曜日もサンタ・クルス競技場での練習であるが、最初の15分だけ公開、本番に近くなり、緊張は高まる。
フランスは13日の金曜日の練習も公開し、7000人の地元ファンが集まった。フランスの初戦は15日、ポルトアレグレでの試合となる。試合の前日の14日の午前中、フランスはリベイラン・プレトからポルトアレグレに移動したのである。
ポルトアレグレに到着したフランスは早速試合会場であるベイラ・リオ競技場で練習、そして練習を終えてホテルに戻ってきたメンバーを迎えたのはフランスのナジャット・バロー・ベルカセム女性権利・都市・青少年・スポーツ大臣であった。モロッコ生まれで今年4月に就任したバロー・ベルカセム大臣は選手とスタッフを激励し、翌日から試合が始まる選手・スタッフは感激したのである。
■欧州勢が他大陸勢に勝てない今大会
ついに決戦の日がやってきた。グループEのフランスは大会4日目の登場となる。今大会は1978年のアルゼンチン大会以来36年ぶりの南米開催となる。これまでのワールドカップで南米開催で欧州勢は優勝したことがない。ただ、交通網が発達し、南米の有力選手の多くが欧州のクラブに所属している現在はその状況が変わるかもしれない。しかし、ここまでの今大会の欧州勢の戦いを見ると12日の開幕戦ではクロアチアがブラジルに敗れ、13日はグループBでオランダとスペインという欧州勢同士が対戦し、オランダが勝利、14日はグループCでギリシャがコロンビアに敗れ、グループDではイングランドとイタリアという欧州勢対決があり、イタリアが勝利している。すなわち、フランスより前に登場した欧州勢は他大陸の国との戦いで全敗である。これもやはり南米開催が影響しているのであろうか。
■開幕戦を港町で迎えるフランス
さらにフランスは今回が5大会連続の出場となるが、第1戦を勝利したのは1998年大会の南アフリカ戦(3-0)だけで、その後は2002年大会でセネガルに0-1と敗れ、準優勝した2006年大会もスイスとスコアレスドロー、グループリーグで敗退した2010年大会はウルグアイとスコアレスドロー、このように第1戦を苦手としている。
フランスがホンジュラスと対戦するポルトアレグレは今大会が開催される12都市の中で最も南方に位置し、気候も涼しい。ポルトアレグレとはポルトガル語で「陽気な港」という意味であり、グアイバ川河口にある港町である。人口約140万人の大都市であり、港町ということでポルトガル、イタリア、ドイツなど欧州からの移民が築き上げた町であり、街並みも欧州風である。
振り返ってみればフランスが最後に開幕戦に勝利したのは1998年の南アフリカ戦であるが、この試合は港町マルセイユのベロドローム競技場で行われているが、今回も港町での戦いである。前回の2010年も港町ケープタウンでの試合であった。そしてフランスが最後に南米開催のワールドカップで勝利したのはアルゼンチンのマルデルプラタで行われた1978年大会のハンガリー戦であり、マルデルプラタもやはり港町である。
さて、ポルトアレグレでの開幕戦、フランスはどのような船出をするのであろうか。(続く)