第155回 1月のフランス熱狂、3つのスポーツイベント(1) 25年目のパリダカ
■パリもダカールも通らなくとも「パリダカ」
1月から2月にかけては国内リーグや国内のカップ戦の試合が目白押しであることは前々回の本連載で紹介したとおりである。「おらがチーム」同士の戦いを数多くスタジアムで観戦することはサッカー人気の向上のためのチャンスであったが、せっかくの機会と言うのにフランスのスポーツファンの関心は今回から紹介する3つのスポーツイベントに集中してしまった。
まず、1月1日に始まったパリ・ダカール・ラリー。今年25周年を迎える伝統のスポーツイベントとなった。毎年コースが変わるのがこのラリーの魅力の1つであるが、今年はスタートがパリでなく、ゴールもダカールではない。1月1日にマルセイユを出発し、スペイン、チュニジア、リビアを経由し、エジプトに入り、1月19日にシャルムエルシェイクでゴールインする。パリもダカールも通らない今大会はスペインの電話会社がスポンサーとなり、「テレフォニカ・ダカール2003」という正式名称であるが、19日間8600キロの熱戦を従来どおり「パリダカ」と呼び、連日の砂漠の熱戦に一喜一憂した。
■三菱、日産、トヨタが勢ぞろい、Jリーグの代理戦争に
昨年は日本の増岡浩(三菱パジェロ)が初優勝を飾り、日本の皆様も関心が高まっているであろう。また、横浜Fマリノスの母体企業である日産も今年の大会に参戦している。昨シーズンのJリーグでは2試合とも横浜が勝っており、アリ・バタネン、篠塚建次郎という優勝経験のある大物ドライバーを補強し、パリダカでも引き続き三菱を倒すことを虎視眈々と狙っている。また名古屋グランパスエイトの親会社のトヨタももちろん例年どおり参戦、さながらJリーグの代理戦争となり、年末の天皇杯で上位に進出できなかったこれらのチームのファンも年明けにアフリカの砂漠を舞台に繰り広げられる戦いを楽しみにしていたことであろう。
■フランス期待のジャン・ルイ・シュレッサーなどが早々と脱落
もちろん、フランスのファンの期待はジャン・ルイ・シュレッサーである。1999年、2000年と連覇を果たしたシュレッサーはフォードのマシンを操り、3年ぶりの優勝を狙う。ところが、1月7日にチュニジアからリビアに入るコースで電気系統のトラブルに見舞われ、マシンは修復不能となり、無念のリタイアとなったのである。また、その2日後には篠塚もリビアの砂漠でコブを越えた直後に転倒し、クラッシュする。負傷した篠塚は病院に運ばれリタイアしたが、篠塚の救出に向かった日産チームの同僚バタネンもタイムを大きくロスし、総合順位は前日までの5位から13位へと後退した。その後バタネンは挽回するが、あまりにも大きなタイムロスを背負った名手に表彰台は遠かった。
■三菱上位独占、3年ぶりのフランス人の優勝はならず、
このような有力ドライバーが悪戦苦闘する中で、順調に上位をキープしつづけたのが、三菱勢である。三菱パジェロエボリューションに乗ったフランスのステファン・ベテランセルが序盤から首位を堅持、そして僅差で三菱パジェロエボリューションに乗った増岡が追っていた。そしてこの2人の争いに加わったのが三菱パジェロに乗ったフランスのジャン・ピエール・フォントネとイタリアのミキ・ビアシオンである。さらに三菱ストラーダに乗ったポルトガルのカルロス・スーザも加わり、ゴールまであと2日となった1月17日には上位5人を三菱勢が独占した。この時点での順位は1位ベテランセル、25分差で増岡、以下フォントネ、ビアシオン、スーザとフランス人ドライバーが首位と3位に位置していた。
あと2日で3年ぶりのフランス人ドライバーの優勝、と思われた1月18日に悲劇は起こった。この日、2回のオイル漏れがベテランセルに降りかかる。トラブルがあっても首位を保っていたベテランセルであったが、この焦りが事故を生んだのであろうか、左フロントを岩に激突、左フロント部分をクラッシュしたベテランセルはアシスタントカーの到来を待ち、大幅にタイムロス、4位に後退してしまったのである。スタート2日目にトップにたち、今年のパリダカを牽引してきたフランス人ドライバーはゴールの前日に首位から滑り落ちてしまったのである。
結局、優勝したのは増岡、連覇は25年のパリダカ史上で4人目という偉業である。2位にフォントネ、3位はベテランセルと2人のフランス人が表彰台に上った。4位はスーザであり、三菱勢が1位から4位までを独占した。砂漠の戦いは1月19日に幕を閉じたが、パリダカのゴールを待って行われた2つのスポーツイベントが引き続きフランス人を熱狂させたのである。(続く)