第1734回 回顧・ワールドカップブラジル大会(5) ボスニア・ヘルツェゴビナ監督のサフェット・スシッチ

 3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■他国の代表チームを率いたフランス人監督

 本連載第1730回から第1734回ではフランスのクラブに所属する46選手のブラジルでの活躍について紹介したが、監督についても注目したい。2002年大会で日本を率いたフィリップ・トルシエなど、フランス人の監督が他国の代表チームを率いることは珍しいことではない。前回の2010年大会でもカメルーンを率いたポール・ルグアン、2006年大会ではコートジボワールを率いたアンリ・ミッシェル、チュニジアを率いたロジェ・ルメールがいる。また2002年大会は日本のトルシエ以外にセネガルのブルーノ・メッスもいた。そしてフランス代表監督は2002年はルメール、2006年と2010年はレイモン・ドメネクとフランス人監督が務めている。
 今大会のフランス人監督はフランスのディディエ・デシャンとコートジボワールのサブリ・ラムシの2人である。近年のワールドカップにおけるフランス人監督を見てみるとフランス代表プラスフランスから独立したアフリカの国が1か国または2か国となっており、フランスから独立した国ではない日本がフランス人監督を起用したというのは極めて異例のケースであろう。

■コートジボワールのサブリ・ラムシは初のワールドカップ

 さて、コートジボワールを率いたラムシについては本連載第1507回で詳しく紹介しているが、チュニジア系のフランス人であり、チュニジア代表に選ばれたこともあるが、試合には出場せず、のちにフランス代表入りしたという経歴を持つ。そして1996年の欧州選手権には出場したが、1998年の自国開催のワールドカップには出場できず、選手として出場できなかったワールドカップに監督として初出場である。なお、この時のフランス代表の主将がデシャンであり、ワールドカップ優勝メンバーの中で初めて監督としてワールドカップに戻ってきた。(前任のローラン・ブランもワールドカップ優勝メンバーであるが、2010年のワールドカップの後に就任している)

■1980年代のパリサンジェルマンの華、サフェット・スシッチ

 そして今回の特徴として多くの監督がフランスのクラブで選手あるいは監督の経験があることである。フランス人にとって今でも忘れられないのがボスニア・ヘルツェゴビナを率いたサフェット・スシッチであろう。1980年代から1990年代のパリサンジェルマンを支えた選手であり、パリサンジェルマン史上最高の背番号10であるというファンは少なくない。スシッチはパリサンジェルマンには1982年から1991年までの9季在籍し、マジック・スシッチのニックネームで親しまれる。

■初出場のボスニア・ヘルツェゴビナ、最終戦で初勝利

 現役最後の1年はトルシエと入れ替わるようにレッドスターに所属し、引退後はカンヌの監督に就任する。カンヌの監督は1シーズン限りで、その後はトルコのクラブチームの監督を渡り歩く。そしてユーゴスラビアの解体、内戦という苦しい時代を乗り越えた母国に戻ってきたのは実に27年ぶりのことであった。2010年のワールドカップ予選で敗れたボスニア・ヘルツェゴビナの監督に2009年暮れに就任する。
 2012年の欧州選手権予選は奇しくもフランスと同じグループGに入る。フランス、ルーマニアが有力であったが、フランスは初戦を落としたものの立ち直り、ルーマニアは低迷し、ボスニア・ヘルツェゴビナも前半戦は不振であった。終盤にボスニア・ヘルツェゴビナは猛チャージをかけ4連勝、最終戦は首位のフランスと2位のボスニア・ヘルツェゴビナが勝ち点1差で直接対決となる。スタッド・ド・フランスでの試合はボスニア・ヘルツェゴビナジェコのゴールで先制したが、フランスは終盤にサミール・ナスリのゴールで同点に追いつき、首位をキープしたフランスが本大会出場、ボスニア・ヘルツェゴビナはプレーオフに回る。プレーオフではポルトガルと対戦するが1分1敗で本大会出場はならなかった。
 今回のワールドカップもギリシャと競り合い、同じ勝ち点であったが、得失点差で大きく上回るボスニア・ヘルツェゴビナがギリシャを押さえて首位、初出場を勝ち取ったのである。本大会ではアルゼンチン、ナイジェリアに連敗し、早々にグループリーグ敗退が決まった。しかし、最終戦のイラン戦では3-1と快勝、記念すべき初勝利をあげ、スシッチの姿にフランスのファンが拍手を送ったのである。(続く)

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