第162回 フランス、チェコに完敗(2) ジダン伝説が誕生したチェコとの初対戦
■招集直後のメンバー変更、空席だらけのスタジアム
ビシャンテ・リザラズ、ダビッド・トレゼゲ、ロベール・ピレスという3人を復帰させた今年最初の国際試合のチェコ戦。リヨン勢3人がメンバーからはじき出されたが、当初GKとして選出したファビアン・バルテス、グレゴリー・クーペという2人がいずれも負傷し、ウルリッヒ・ラメとミカエル・ランドローが代わりに入った。また若手DFとして期待されているフィリップ・メクセスも負傷し、代わりにオセールのチームメイトのジャン・アラン・ブームソンが代表初招集となった。これらのメンバーについては本連載の第151回で紹介した昨年のフランスリーグのベストイレブンに選出されており、ジャック・サンティーニ監督が過去の実績や代表チームの戦術との適応度ではなく、所属リーグで調子のいい選手を起用している。前回紹介した3人についても国外リーグでの活躍を認めての復帰である。
さて、フランスにおいて他競技の活躍で影が薄くなりつつあるサッカー。今回のチェコ戦も強豪相手の試合というのに、チケットがなかなかさばけず、多くの空席のある状況でキックオフとなった。
■日本とつながりの深いチェコ
ここでチェコについて紹介しよう。チェコスロバキアがビロード革命の末チェコとスロバキアに分離独立したのは1993年1月1日、すなわち今年は新生チェコの独立10周年にあたる。
チェコスロバキアは大阪で開催された万国博覧会を契機に、1970年の三月場所から大相撲の優勝力士にクリスタルグラス製のチェコスロバキア友好杯を授与し、現在もチェコ国友好杯として継続している。フランスも含め現在は数多くの国から大相撲の優勝力士にカップやトロフィーが贈呈されるが、その草分けがこのチェコスロバキアのクリスタルグラス製のカップなのである。また、2000年には「炎のコバケン」こと小林研一郎が、大統領臨席の下、東洋人として初めて「プラハの春音楽祭」でオープニングコンサートを指揮している。
昨年のワールドカップはベルギーとのプレーオフで敗れ、日本の皆様の前にその姿を現すことはなかったものの、日本の皆様にとっては非常に親近感のある国であろう。
■来年の欧州選手権を目指すチェコ
ワールドカップ本大会出場を逃し、来年のポルトガルで開催される欧州選手権には是非とも出場権を獲得したいところである。予選はグループ3に入り、このグループの最大の強敵は第1シードのオランダ、チェコは第2シードである。この両国の対戦は3月29日にオランダのホームで行われる。チェコ、オランダ両国とも予選2試合を消化し、2連勝。一騎打ちの様相を呈してきた。そのチェコにとってこのアウエーのフランス戦は貴重な試金石である。
■過去3回のフランスとチェコの対戦
チェコスロバキア時代のフランスとの対戦成績はチェコスロバキアが9勝4分7敗と勝ち越している。そしてチェコとなってからは3回対戦し、そのうち2回は欧州選手権本大会という大舞台での対戦であった。記憶に新しい最新の対戦は2000年の欧州選手権でのグループリーグ。グループリーグ初戦でデンマークを下したフランスは第2戦でチェコと対戦する。勝てば決勝トーナメント進出を手中にするフランスはチェコを2-1と下している。
その前の対戦は1996年の欧州選手権準決勝。マンチェスターのオールドトラフォードで行われたこの試合、フランスは主将のディディエ・デシャンが出場できず、延長戦が終わっても両チーム無得点。決勝進出はPK戦にゆだねられた。フランスの先蹴で始まったPK戦は両チーム5人ずつが全員成功。サドンデス方式に入り、最初のキッカーのレイノー・ペドロスが失敗。チェコ6人目のミロスラフ・カドレッチが決めて、フランスは決勝進出を逃す。決勝を前に敗退したフランスであるが、この試合は引き分けとカウントされ、エメ・ジャッケ監督は就任以来28試合連続無敗という記録を打ち立てたのである。
そして最初の対戦はジャッケ監督が就任して間もない1994年8月のボルドーでの親善試合である。この試合フランスは前半に0-2とリードを許す。後半途中から代表初選出で地元ボルドーに所属するジネディーヌ・ジダンを投入する。代表デビューとなるジダンが地元ファンの期待に応えて、85分、87分と起死回生のゴールを決め、引き分けに持ち込み、ここにジダン伝説が誕生したのである。
ところが、ジダンは自らの伝説をスタートさせたチェコ戦で、とんでもない失態を演じてしまったのである。(続く)