第1805回 JE SUIS CHARLIE 私はシャルリー(1) 1月7日に起こったシャルリー・エブド襲撃事件
このたびパリ並びにパリ近郊で起こった銃撃事件の犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、サッカー界での人種差別についてしばしば取り上げている本連載に対する読者の皆様からのご支援に感謝いたします。
■17人が犠牲者となった一連の襲撃事件、世界に広がった「JE SUIS CHARLIE」
最近の本連載の冒頭でメッセージを掲げているように、1月7日、パリ11区にある週刊風刺誌である「シャルリー・エブド」の編集部に武装した男たちが入り込み、自動小銃で記者、警官など12人を殺害し、翌日以降もパリ近郊のスーパーマーケット、印刷工場などで殺害を繰り返し、合計で17人の犠牲者が出た。
このテロというべき銃撃事件に対してフランス社会は大きな怒りを表した。フランスの伝統ともいうべき権力、権力者(政治経済だけではなく宗教も含む)を風刺し、笑い飛ばすという精神、表現の自由に対して、暴力で反撃したテロリストに対する抗議は「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)」のメッセージと共に、フランス国内全土で沸き起こり、そのムーブメントに外国の首脳を巻き込み、世界中に広がった。
■スポーツ界も風刺の対象になるフランス
今回と次回はこの事件に対し、スポーツ界がどのように対応したかを紹介したい。シャルリー・エブドを含む風刺誌の対象は先述した通り政治経済だけではなく宗教も含まれているが、もちろんスポーツも例外ではない。すなわち、スポーツの世界でもスター選手や監督、競技団体の幹部などはシャルリー・エブドの標的となってきた。ファンの期待を裏切るような結果となった場合だけではなく、高額所得者向けの税率のアップの際も、選手は槍玉にあげられた。
■事件翌日から紙面を刷新したレキップ紙
このようにスポーツ界にとっても煙たい存在であるはずの風刺雑誌であるが、この襲撃事件に対して素早く立ち上がった。まず、同じジャーナリズムであるスポーツ紙のレキップ紙、事件の翌日には紙面構成を変える。顔である1面は題字の左側には「JE SUIS CHARLIE」のロゴ、そして右側にはシャルリー・エブドに対するオマージュのメッセージ、そして通常は全面に近い大きな写真が入る部分は漫画が入り、自由0-12残酷とスポーツのスコアのように示し、恐怖に脅える観衆の姿が描かれている。2面と3面は見開きになっており、スポーツを題材としたこれまでのシャルリー・エブドの傑作選とスポーツ選手のこの事件に対するメッセージを特集している。
前日には本連載第1799回から第1788回で紹介したデビスカップ決勝の影響で延期となったサッカーのフランスリーグのリール-エビアン戦くらいしか主要スポーツがなかったとはいえ、この動きの速さ、問題認識の正確性は特筆すべきであり、フランスのスポーツジャーナリズムの誇りである。
レキップ紙は1月9日以降も1面はこの事件に抗議する漫画と「JE SUIS CHARLIE」のロゴを掲載し続けた。
■事件の夜に行われたリール-エビアン戦で湧きあがった「シャルリー・エブド」の大合唱
そしてスポーツ界の反応であるが、事件のあった日の夜に行われたリール-エビアン戦、真冬の平日の夜、しかも相手は下位のチームとはいえリールの本拠地ピエール・モーロワ競技場には3万2000人以上の観客が集まった。暗いニュースが起こった直後であり、このテロ事件がいつまたフランスのどこで再発するかわからないという状況にあってもフランス人はスポーツを選んだ。フランス人はサッカー場を選んだ。両チームの選手は喪章を巻いて出場、試合前には黙とうがささげられたが、11月のデビスカップ決勝の際は「アレ、レブルー」の大歓声に包まれたピエール・モーロワ競技場は「シャルリー・エブド!」の大合唱が試合中にも幾度となく行われたのである。
事件直後から抗議行動はあったが、日に日にボルテージは高まり、週末にはフランス各地でデモ行進が行われた。その中でも11日の日曜日にパリでは襲撃事件の現場から遠くない共和国広場を起点として200万人のデモが行われ、オランド大統領をはじめとする政府要人だけではなく、国外からもドイツのアンゲラ・メルケル首相、英国のデビッド・キャメロン首相、イスラエルのベンジャミン・ネタニヤフ首相、イスラエルとは敵対するパレスチナ自治政府のマハムード・アッバス議長もスクラムを組んでデモ行進を行った。
そしてこの週末には多くのスポーツ競技が行われた。フランスのスポーツは各地でこのテロリズムに対して大きな怒りを示したのである。(続く)