第176回 マルタ、イスラエルと連戦(5) 流浪の旅を続けてきたイスラエル

■欧州予選の高い壁、アジア代表となってもプレーオフ敗退

 欧州選手権予選グループ1はフランスが独走しているが、キプロス、スロベニア、マルタ、マルタと対戦してきたフランスにとってこのグループで最後に顔を合わせることになったのが4月2日に対戦するイスラエルである。
 イスラエルは最近のワールドカップや欧州選手権での予選ではあと一歩のところという好成績を残している。そしてイスラエルを語る際に忘れてはならないのが、この国の持つ複雑な国際関係により、予選のたびに所属する地区が代わるという流浪の歴史である。
 イスラエルは1948年に建国され、ワールドカップ予選には1950年のブラジル大会からエントリーしている。地理的にはアジアに属するが、アラブ諸国からボイコットされ、ワールドカップへの最初の挑戦は欧州からであった。イスラエルは欧州予選でフランス、ユーゴスラビアとともにグループ3に入り、1949年秋にユーゴスラビアとホームアンドアウエーで戦い、連敗する。イスラエルを下したユーゴスラビアが今度はフランスとホームアンドアウエーで戦い、2試合連続引き分けの末、プレーオフを行ない、ユーゴスラビアが第二次世界大戦後最初のワールドカップに出場している。
 その後、イスラエルは国際政治の荒波の中でワールドカップ予選のたびに所属グループが変わる。1954年スイス大会予選は欧州予選、1958年スウェーデン大会はアジア予選、1962年、1966年大会は欧州予選を戦うが、欧州の国の中では力不足でワールドカップ出場はならず、アジア代表として参戦した1958年大会もプレーオフで欧州のウェールズに敗れている。

■アジア・オセアニア予選を勝ち抜き、本大会唯一の出場

 ところが、1970年大会はアジア・オセアニア予選を戦う。このグループはかなり特殊でアジアからのエントリーは日本と韓国、オセアニアからのエントリーは豪州とニュージーランド、そして本来は欧州に入るべきイスラエル、本来はアフリカに入るべきローデシアという国際的に敬遠されることの多い国が加わり、6チームのうち1チームが本大会出場と言う変則的かつ幸運なグループに入った。最終予選は日本、韓国、ローデシアを下した豪州と、ニュージーランドを下したイスラエルの間で争われた。イスラエルはホームで1-0と勝ち、アウエーの試合をドローに持ち込み、メキシコ行きのチケットを獲得したのである。本大会ではイタリア、ウルグアイ、スウェーデンという強豪国の中で1勝もあげることはならなかったが、イタリアと引き分けるという快挙を残したのである。

■日本と韓国しか対戦相手のいないアジア予選

 1974年大会もまたアジア・オセアニア地区で予選を戦う。アラブ諸国との対戦を避けるため、1次予選を日本、韓国と戦う。1次予選はソウルで集中開催されたため、多くの日本人の皆様がソウルに移動して、イスラエル戦をご覧になったであろう。イスラエルは日本と2回対戦し、いずれも勝ったが、韓国に敗れてしまう。続く1978年大会もアジア地区で予選を戦い、前回同様、韓国、日本と戦う。日本との対戦は警備上の問題があるため、2試合ともテルアビブで行われた。この時にイスラエル側がAFCではなくUEFAから主審を招聘したことは、いまだに両国間の問題としてくすぶり続け、日本におけるイラク攻撃不支持という流れの源となっているのであろう。日本には連勝したが、またもや韓国に敗れ、ワールドカップの道は閉ざされた。

■依然として存在する欧州の壁、オセアニアからの挑戦も本大会出場ならず

 そして1982年大会は欧州予選に参戦している。ところが欧州予選とアジア予選ではレベルに差があり、5チームが参加したグループ5では最下位に沈む。そして1986年大会は台湾とともにオセアニア予選に参戦し、豪州に敗れる。1990年予選もオセアニア予選に参戦し、豪州、ニュージーランドを倒し、南米のコロンビアとプレーオフを戦う。アウエーの第1戦は0-1という希望をつなぐスコアでの敗戦であったが、肝心のホームでの第2戦はスコアレスドローで、イタリア行きのチケットを獲得することはできなかったのである。
 流浪の旅を続けてきたイスラエルであるが、1994年大会の予選から欧州の一員となり、飛躍的な進歩を見せているのである。(この項、続く)

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