第1932回 世界王者のドイツと 対戦(2) 初めて欧州以外のクラブから招集されたアンドレ・ピエール・ジニャック

 4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■カリム・ベンゼマの恐喝事件で攻撃陣を大幅に入れ替え

 カリム・ベンゼマがチームメートのマチュー・バルブエナを恐喝した疑いでイブリン県の県庁所在地であるベルサイユの警察に出頭し、拘留されるという事件が代表メンバー発表の前に起こり、ベンゼマとバルブエナをメンバーから外さざるを得なくなったディディエ・デシャン監督、この2人に代えて3年間代表から遠ざかっているハテム・ベンアルファを呼び戻し、19歳のキングスレー・コマンを初めて代表に招集する。また6月のベルギー、アルバニアとの連戦の際に代表に初招集され、10月にもメンバー入りしたポール・ジョルジュ・ヌテップもメンバーから外れた。

■昨季、得点ランキング2位のアンドレ・ピエール・ジニャック

 代わりのFWにはアンドレ・ピエール・ジニャックが復帰した。ジニャックはトゥールーズ時代の2008-09シーズンには28得点をあげてリーグ得点王に輝いている。この活躍が認められて、2010年にはマルセイユに移籍する。
 かつての力を取り戻しつつあるマルセイユでは期待されたが、初年度は不振でファンの期待を裏切り、2年目はリーグ戦でわずか1得点となる。しかし、3年目以降は徐々にチームにフィットし、先発メンバーとして定着する。5年目の昨季はリーグ戦全試合に出場し、21得点を記録し、得点ランキングではアレクサンドル・ラカゼットに次いで2位、マルセイユで最高のシーズンとなった。なかでもパリサンジェルマンとの試合で2得点をあげて3-2と勝利した4月5日の試合は長くマルセイユのファンに語り継がれるであろう。ようやくマルセイユの一員として認められるようになったジニャックであるが、ちょうど昨季で契約満了となり、新たなチームに所属することになった。もちろん国内外のビッグクラブが獲得の意思を見せたが、意外なチームに移籍することになった。

■メキシコのティグレスに移籍したジニャックが代表入り

 ジニャックの選んだクラブはメキシコのティグレスである。ティグレスは南米チャンピオンを決めるリベルタドーレス杯に招待チームとして出場し、アルゼンチンのリバープレートに次ぐ準優勝という成績を残している。そのティグレスにはこのリベルタドーレス杯の準決勝のインテルナシオナル(ブラジル)戦から合流、早くも得点をあげている。ジニャックはティグレス移籍後初めてフランス代表に加わる。ジニャックは100年以上の歴史を誇るフランス代表で初めて欧州圏以外のクラブに所属し、代表に選ばれた選手となったのである。
 近年、代表を退いた選手が中国や中東のクラブに移籍するケースがあるが、今回のジニャックの選出は欧州以外のクラブに所属していても代表に選ばれるということが明らかになったわけであり、今後のフランスのトップレベルの選手の移籍市場にも影響することになるであろう。

■イタリアのセリエB時代のユベントスを率いたディディエ・デシャン監督

 今回の英断に関しては先行したデシャン監督自身の経験も影響しているであろう。現役引退後にモナコの監督となり、国内ではリーグカップ優勝、欧州ではチャンピオンズリーグ準優勝と非凡な才能を見せる。2005年シーズンにモナコの監督を辞した後、2006年にユベントス(イタリア)の監督に就任する。この時、ユベントスは八百長事件を起こし、制裁を受けて2部であるセリエBへと降格する。リリアン・テュラム、パトリック・ビエイラやズラタン・イブラヒモビッチなど多くの主力選手が流出した中でセリエAに1年で復帰するためにデシャンを呼び寄せる。
 この時にユベントスにはダビッド・トレゼゲ、ジャン・アラン・ブームソン、ジョナタン・ザビナという3人のフランス人選手がいたが、ブームソンとトレゼゲはフランス代表に招集され、試合に出場した。他国の2部リーグに所属する選手としてフランス代表の試合に出場したのはこの2人だけである。もちろん彼らはユベントスでも活躍し、名門は1年で1部であるセリエAに復帰したのである。
 自身の経験からデシャンは選手の所属するチームの国やレベルに関係なく選手を招集したのであろう。(続く)

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