第2020回 2015-16フランスリーグ、フィナーレ(4) 有終の美を飾ったズラタン・イブラヒモビッチとパリサンジェルマン

 平成28年熊本地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。お亡くなりになった方々に、謹んで哀悼の意を表します。 この地震が1日でも早く収まることと、被災地の皆様の安全とご健康をお祈り申し上げます。

■優勝決定後も勝ち点を積み上げたパリサンジェルマン

 これまでの連載では来季の欧州カップの出場権のかかるフランスリーグの上位争い、そして2部降格争いを紹介してきたが、今季のリーグで最も注目を集めたのは圧倒的な強さを誇ったパリサンジェルマンに異論はないであろう。そしてこのパリサンジェルマンは今季でチームを去ることが決まっているエースのズラタン・イブラヒモビッチであることも万人が認めるところである。今回は最終節のパリサンジェルマンの戦いぶりについて紹介しよう。
 パリサンジェルマンは本連載第2002回と第2003回で紹介した通り、3月13日に行われた第30節のトロワ戦で優勝を決めている。次節のモナコ戦では敗れたものの、その後は6連勝、5月11日に行われたボルドー戦は引き分け、勝ち点を93まで伸ばして最終節を迎えることになった。勝ち点制が現状のシステム(勝ち=3点)となってからは2季前のパリサンジェルマン自身が記録したシーズン最多勝ち点の記録を5月7日のGFCアジャクシオ戦で更新している。

■ナントを迎えたシーズン最終戦、シーズン通算100得点を決める

 パリサンジェルマンの最終戦はパルク・デ・プランスにナントを迎えて行われた。パリサンジェルマンとナント、この両チームに所属し、ゴールゲッターとして活躍したのが現在は日本代表監督を務めるヴァイッド・ハリルホジッチである。ナント時代は2度にわたり得点王に輝いているがその時の記録は27ゴールである。この記録も偉大であるが、イブラヒモビッチは今季すでに36ゴールをあげている。
 満員の観客の見守る中、試合はキックオフされる。序盤こそナントがパリサンジェルマンのゴールを襲うシーンがしばしば見られたが、次第にパリサンジェルマンはボールを支配し、優位に試合を進める。先制点をあげたのは17分、アンヘル・ディマリアからのパスを受けたイブラヒモビッチが決める。さらに、前半終了間際にもディマリアのパスがルーカスのゴールにつながる。これでパリサンジェルマンはシーズンの通算得点を100点とした。シーズン通算得点が100点を超えたのは1959-60シーズン以来のことである。この時はRCパリが118点、スタッド・ド・フランスが109点を記録している。いずれも古豪チームであるが、現在はPCパリは後継のチームが6部に相当するDHリーグ、そしてスタッド・ド・フランスは前回の本連載で紹介した通り2部に降格することになった。

■カルロス・ビアンキを抜いたズラタン・イブラヒモビッチ

 後半になってもパリサンジェルマンの猛攻は止まらなかった。52分にはマルキーニョスが3点目をあげて試合を決する。そして試合終了間際にはイブラヒモビッチが今季最後のゴールを決める。この日2点目をあげたイブラヒモビッチであるが、このゴールは記録に残るゴールとなった。これまでパリサンジェルマンに所属した選手の中でシーズン最多ゴールは1977-78シーズンのカルロス・ビアンキの37ゴールであったが、この日の2得点によって通算38得点となったイブラヒモビッチは名実ともにパリの王様となった。また38ゴールはフランスリーグの80年の歴史で3番目の記録である。1970-71シーズンのジョジップ・スコブラル(44点)、サリフ・ケイタ(42点)に次ぐ記録であり、守備力の上がった現在では驚異的な記録である。

■数々のシーズン記録を更新したパリサンジェルマン

 4-0と大勝したパリサンジェルマンは有終の美を飾ったが、96に伸ばしたシーズン勝ち点、シーズン最多勝利(30勝)だけではなく、様々な記録を更新した。2位リヨンとの勝ち点差は実に31、これまでの首位と2位の最多勝ち点差は2006-07年のリヨンとマルセイユの17であった。そしてシーズン通算得点だけではなく、シーズンの通算失点も19に収め、1991-92にマルセイユが記録したシーズン最少失点21を更新している。またシーズン得失点差も+83という驚異的な数字を残した。2015-16はズラタン・イブラヒモビッチとパリサンジェルマンのシーズンとして永遠に語り継がれるであろう。(この項、終わり)

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