第2065回 イタリアにアウエーで勝利(1) マルセイユがチャンピオンズカップ決勝で敗れたバーリ

 平成28年熊本地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。お亡くなりになった方々に、謹んで哀悼の意を表します。 この地震が1日でも早く収まることと、被災地の皆様の安全とご健康をお祈り申し上げます。

■新チーム最初の試合はイタリアとの親善試合

 2018年のワールドカップ・ロシア大会を目指すディディエ・デシャン監督率いるフランス代表は9月1日にアウエーでイタリアと親善試合、そして6日にベラルーシとアウエーでワールドカップ予選の初戦を迎える。
 欧州選手権準優勝のフランスは準々決勝でドイツにPK負けを喫したイタリアとバーリで戦う。

■試合勘に不安の残るフランスの主力選手

 両チームともシーズン初めの試合とあってコンディションが気がかりである。フランスに関して言えば、欧州選手権で活躍したディミトリ・パイエは所属するイングランドのウェストハムではわずか23分しか出場機会がない。またオリビエ・ジルーも同様にイングランドのアーセナルでは8月20日のレスター戦で終盤の12分間しか試合に出場していない。また、パリサンジェルマンに所属しているブレーズ・マツイディも交代出場ばかりで通算の出場時間は53分に過ぎない。
 イタリアとベラルーシの力関係を考えれば明らかにイタリアが上であると考えられるが、ベラルーシはリーグの開幕が欧州の有力国よりも早く、すでに6試合を消化しており、選手のコンディションは悪くない。イタリア-フランス戦の前日の8月31日にはノルウェーとアウエーのオスロで親善試合を行い、1-0と勝利している。そのベラルーシとのアウエーの戦いに備えるためにも、このイタリア戦で少しでも試合勘を取り戻させたいとデシャン監督は考えているであろう。

■1990年ワールドカップの3位決定戦の舞台となったバーリ

 さて、会場のバーリであるが本連載の読者の方であれば、フランスのサッカーファンにとっては忘れてはならない都市であろう。バーリのサンニコラ競技場は1990年のワールドカップに向けて1987年に完成した。設計者はイタリアを代表するレンツォ・ピアノである。ポンピドーセンターの設計者として有名であるが、日本の皆様は関西国際空港旅客ターミナル、銀座のメゾン・エルメス、そして天草のハイヤ大橋という建築物の設計者として知られているであろう。
 1990年のワールドカップではこのバーリでは3位決定戦などが行われた。地元のイタリアとイングランドの対戦となり、両チームのベンチがウェーブを行い、史上最も美しい3位決定戦として語り継がれている。この時のイングランドのメンバーにクリス・ワドルがいる。ニューカッスルに所属していた際に訪日していることから日本のファンの皆様にとっては親しみのある選手であるが、当時のワドルはマルセイユに所属していた。イングランドはイタリアに1-2と競り負け、4位に終わったが、ワドルはその翌年もこのバーリに戻ってくることとなった。

■レンタル中のディディエ・デシャンを欠くマルセイユ、バーリで敗れる

 それが1991年5月29日に行われたチャンピオンズカップの決勝である。フランス代表のマルセイユは準々決勝でライバルのACミラン(イタリア)を下し、準決勝ではソ連のスパルターク・モスクワを一蹴する。決勝の相手はユーゴスラビアのベオグラード・レッドスターである。
 当時はまだ外国人選手の人数制限があり、マルセイユの選手のほとんどはフランス代表、そこにイングランドのワドル、ブラジルのモゼール、ユーゴスラビアのドラガン・ストイコビッチが名を連ねていた。マルセイユの一方的なゲームとなったが、得点をあげることができない。延長戦に入ってからはストイコビッチを投入するも無得点、ビッグイヤーの行方はPK戦に委ねられ、マルセイユはバーリで敗れてしまった。この時、マルセイユのメンバーから外れていたのがデシャンである。前年にナントからマルセイユに移籍してきたデシャンは1994年まで4季マルセイユに在籍したが、この1990-91シーズンだけはボルドーにレンタル移籍しており、メンバーに入っていなかった。
 1993年にマルセイユがチャンピオンズリーグ決勝でACミランに勝利したときの主将はデシャンであった。デシャンがあの年にボルドーにレンタルされず、マルセイユの一員としてバーリで戦っていたならば、フランスサッカーの歴史は変わっていたのかもしれない。(続く)

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