第2078回 序盤に強敵と連戦 (2) 忘れられないワールドカップ予選の相手となった両チーム
平成28年熊本地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。お亡くなりになった方々に、謹んで哀悼の意を表します。 この地震が1日でも早く収まることと、被災地の皆様の安全とご健康をお祈り申し上げます。
■引き分け以上ならフランス、敗れればブルガリアとなった予選最終戦
前回の本連載ではブルガリア、オランダとの連戦に向けた23人のメンバーのうち、アイメリック・ラポルテとプレスネル・キンペンベという2人の新人を選出したことを紹介した。また、メンバーのうち23歳以下の選手が半数を占めることも紹介したが、フランスのファンにとってワールドカップ予選で忘れられない思い出がブルガリア戦であり、オランダ戦である。
ブルガリアとは1994年の米国大会予選で対戦した。1988年欧州選手権、1990年ワールドカップと予選落ちを喫し、1992年欧州選手権は予選で全勝しながら本大会では惨敗と国際大会での不振が続いたフランス、1994年の米国ワールドカップ予選は初戦でアウエーのブルガリア戦で0-2と敗れてしまう。しかし、ここからチームは持ち直し、ジャン・ピエール・パパンとエリック・カントナの2トップがゴールを量産し、ホームゲーム2試合を残して勝ち点1を獲得すれば本大会出場というところまでこぎつけた。最後の2試合は10月13日のイスラエル戦と11月18日のブルガリア戦だけとなった。イスラエル戦は2-2で迎えた試合終盤にフランスはまさかの勝ち越し点を奪われてしまう。そしてブルガリア戦を迎えた。イスラエル戦との違いはブルガリアが勝利すれば本大会に出場するということであり、引き分け以上で本大会出場のフランスと新大陸行きをかけた直接対決となった。
■試合終了の直前にミスから失点したフランス
すでにこの試合については本連載では何回も紹介している通り、1-1の同点のまま試合は進み、終了間際にフランスは相手陣深くでFKを得たが、このFKをダビッド・ジノラが逆サイドの相手にパスをしてしまい、右サイドを攻め上がったブラジルのエミール・コスタディノフに決勝点を奪われ、フランスはワールドカップ出場を逃す。これ以降の国際大会の予選は地元開催となった1998年ワールドカップ、タイトルホルダーの2002年ワールドカップ、そしてこのたびの2016年欧州選手権を除くと、8大会連続で予選を突破していが、この1994年大会予選のブルガリア戦はフランスのサッカーファンに負の記憶としていつまでも残るのである。
■世代交代でブルガリア戦を知らない選手たち
ディディエ・デシャン監督はこの試合に出場しており、先制点の起点となっている。前任のローラン・ブラン監督は最後の失点の際に、体を張って防ごうとしたが無情の失点となった。しかし、時代も移り変わり、この試合の記憶のある代表選手も数少なくなってしまった。前回の本連載で紹介したラポルテ、キンペンベだけではなく、キングスレー・コマン、アントニー・マルティアルの4人はこの試合の時に生まれていない。今回招集されたメンバーの中で最年長のスティーブ・マンダンダが当時8歳、主将のウーゴ・ロリスは6歳であり、本人が直接見聞きしたことよりは、代表選手としての活動で先輩から語り継がれたことの方が多いであろう。
■王手をかけたオランダにパリで勝利
フランスのワールドカップ予選の負の記憶がブルガリア戦であるならば、正の記憶が1982年スペイン大会予選のオランダ戦であろう。フランスはグループ2に入るが、ベルギー、オランダ、アイルランド、キプロスと対戦し、上位2チームだけがスペイン行のチケットが与えられる。おそらくフランスの歴史の中で最も厳しい予選であると言えよう。1980年秋に始まった予選でフランスはキプロス、アイルランドに連勝するが、1981年に入るとオランダ、ベルギー、アイルランドにアウエーゲームで敗れ、8試合中6試合終えた段階でフランスは3勝3敗、11月18日にオランダ、12月5日にキプロスとホームゲームを行うだけとなった。当時は試合消化日程がチームによって異なり、この試合が最終戦となるオランダはフランスに勝利すれば本大会出場が決まる。フランスは残り2試合を連勝すれば予選突破となる。
パルク・デ・プランスで行われた試合はアラン・ジレス、ミッシェル・プラティニ、ベルナール・ジャンニーニの3人の中盤が光り、プラティニとディディエ・シスのゴールで2-0と勝利する。天王山を制したフランスは12月のキプロス戦にも勝利し、スペイン行きを決めたのである。(続く)