第195回 欧州王座を争うフランス勢(1) 過去10年間の欧州での活躍
■マルセイユの欧州制覇からはや10年
各国リーグだけではなく、欧州チャンピオンズリーグ、UEFAカップも大詰めを迎え、欧州チャンピオンズカップはユベントスとACミラン、UEFAカップはセルチック・グラスゴーとFCポルトが決勝戦に残っている。フランス勢は本連載でもたびたび紹介したように両タイトルでベスト8に残れず、このところ寂しい成績が続いている。1990年代は上位に常に進出していたフランスのクラブチームであるが、フランス人のジャーナリストのガブリエル・アノーが提唱し、1950年代にその起源をさかのぼる欧州三大カップにおいてフランスのクラブが欧州の頂点に立ったのは1993年の欧州チャンピオンズリーグをマルセイユが制覇したのが初めてであり、その後も1996年のカップウィナーズカップを獲得したパリサンジェルマンだけである。
マルセイユが頂点に立つまで、フランス勢は何度か惜しいチャンスがあった。欧州チャンピオンズカップの初代の準優勝チームはスタッド・ド・ランスであり、1976年にはサンテエチエンヌが決勝でバイエルン・ミュンヘンに敗れ、1991年にはマルセイユがレッドスター・ベオグラードを一方的に押し込みながら、120分無得点の末、PK戦で敗れている。そういう意味で1993年のマルセイユの欧州制覇は感無量であったが、八百長疑惑でタイトルが剥奪されたのは残念であり、時は早いものでマルセイユの歓喜と失望の物語から10年が経ってしまった。しかし、この10年は他の団体球技においてフランスのクラブが活躍した10年であった。
■決勝で勝てなかったフランスのクラブ
サッカー以外の団体球技においてもサッカー同様にクラブレベルで欧州一を争う大会が存在する。サッカーに遅れてすぐに男女のハンドボール、バスケットボール、バレーボールがクラブ欧州一を争う大会を始めている。しかしながら、団体球技においてフランスのクラブチームが欧州の頂点に立ったのは最近のことである。そして初めて欧州の頂点に立つまでサッカー同様あと一歩のところで栄冠を逃してきた。例えば女子のバスケットボールにおいては1970年代にクレルモンが5回も欧州クラブ選手権の決勝に進出しながら、いずれも決勝で敗れ、準優勝にとどまってきた。そして男子バレーボールのASカンヌも1983年に欧州クラブ選手権の決勝でCSKAモスクワに敗れ、涙をのんでいる。1990年にもフレジュスが決勝に進出したが、イタリアのモデナに栄冠を阻まれている。
■男子バスケットボールのリモージュが歴史を変えた1993年4月13日
そのようにたびたびファイナリストになりながら、優勝することができなかったフランスのチーム。その重い歴史の扉を開いたのが男子バスケットボールのリモージュである。1993年4月13日、リモージュは男子バスケットボールの欧州クラブ選手権でイタリアのトレビゾを59-55と下し、初めてフランスの団体球技のチームとしてチャンピオンになったのである。この勝利が今までフランスのチームが持っていたコンプレックスを払拭することになったのであろう。翌月には欧州のクラブナンバーワンとしてもっとも権威のあるサッカーの欧州チャンピオンズリーグの決勝でマルセイユがACミランを下す。バジル・ボリの見事なヘディングシュートがミュンヘンのオリンピックスタジアムのゴールに突き刺さった光景は今でも印象的である。
■男女とも欧州一になったバスケットボールとバレーボール
そして、この10年前の優勝を機に、他の団体球技でもフランス勢の活躍が目立つようになったのである。まず、バスケットボールについては1997年に女子のブルジュが欧州クラブの頂点に立つ。フランスの女子の団体球技がオリンピックに出場したことがなかった当時、これは大きな驚きとなった。ブルジュは翌年の1998年も欧州一に輝いており、2000年のシドニー・オリンピックにフランス女子バスケットボールチームが女子の団体球技として初めて出場する弾みとなった。2001年にはブルジュ、2002年にはバランシエンヌが女子の欧州王座についている。
また、バレーボールも長らくイタリア勢の天下であったが、この流れにストップを止めたのがフランス勢であり、2001年にパリ・バレーがトレビゾを破って初めての欧州王座となった。一方、女子も負けてはいない。2002年に女子の大会でASカンヌがベルガモを破って優勝している。
そして今年も低迷するサッカーを横目に、フランスのクラブが活躍しているのである。(続く)