第2152回 ルクセンブルクに快勝(2) 17回目の対戦となるルクセンブルク
6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■若手を多く含む24人のメンバー
前回の本連載では3月下旬のインターナショナルマッチデーでルクセンブルク、スペインと戦うフランス代表の新人選手について紹介したが、改めて24人のリストを紹介しよう。
16日に発表したリストは、GKにウーゴ・ロリス、アルフォンス・アレオラ、ブノワ・コスティル、DFにプレスネル・キンペンベ、ローラン・コシエルニー、レイバン・クルザワ、バンジャマン・マンディ、アディル・ラミ、バカリ・サーニャ、ジブリル・シディベ、サミュエル・ウムティティ、MFにエンゴロ・カンテ、トマ・ルマール、ブレーズ・マツイディ、ポール・ポグバ、アドリアン・ラビオ、コランタン・トリッソ、FWにウスマン・ダンベレ、ケビン・ガメイロ、オリビエ・ジルー、アントワン・グリエズマン、キリアン・ムバッペ、ディミトリ・パイエ、フローラン・トーバンというメンバーであった。
■若手が多数招集されたモナコとパリサンジェルマン
メンバー発表後、サーニャが離脱し、クリストフ・ジャレが加わる。ポグバに代わりティエムエ・バカヨコが呼ばれ。またモナコからの新人が入った。モナコからは4人がメンバー入りしたが、代表歴があるのはルマールだけ、しかも1試合だけというのはモナコの若手選手の勢いをディディエ・デシャン監督が認めていることの証であろう。
また、パリサンジェルマンは最多の5人が招集されているが、代表歴が50試合以上のマツイディを除くと、一番キャリアのあるのがクルザワの6試合、国外の有名選手の目立つパリサンジェルマンであるが、代表入りできる力のある若手選手もそろっている。
若手選手を大量に招集したあおりを受けてメンバーから外れたのがアレクサンドル・ラカゼット、キングスレー・コマン、アントニー・マルティアル、ムーサ・シソッコなどである。
■欧州を代表する豊かな国のルクセンブルク
フランスと対戦するルクセンブルクであるが、フランス革命時にフランスの支配下となっており、1815年に独立を果たした。人口は60万人にも満たない小国であるが、欧州統合などにいて重要な役割を果たし、現在は欧州の金融センターとなっている。また、フランスのクラブやフランスカップ戦のユニフォームスポンサーになっているRTLはラジオ・テレビジョン・ルクセンブルク、欧州を代表するメディアグループである。かつては農業国、それから鉄鋼業をはじめとする工業国という歴史を経て、現在は金融、情報度の第三次産業が国を牽引しており、欧州を代表する豊かな国となっている。
■ニースで活躍したロビー・ランゲル
また、フランスとの初対決は1911年のことである。フランス代表が初めて試合をしたのが1904年のことであるから、かなり早い時期から対戦している。ルクセンブルクがフランスに勝利したのはただ1回だけ、3回目の対戦となる1914年に5-4と競り合って勝利したのが唯一の勝利である。これまでの対戦成績はフランスが15勝1敗と大きく勝ち越している。1914年の対戦は親善試合であったが、以来の対戦はすべてワールドカップあるいは欧州選手権の予選であり、力の違いが両国の親善試合での対戦を100年以上遠ざけてきた。
さて、ルクセンブルクというとフランスのサッカーファンにとってはロビー・ランゲルを思い出す。1980年代のフランスサッカーを支えた選手であり、オルレアン所属時に2部の得点王になり、1部のニースに移籍する。移籍初年度は18位となり、入替戦に出場したが、ストラスブールとの1戦では4点を取る活躍で残留を決める。翌季は、1部の得点王争いをジャン・ピエール・パパンと争うにいたった。地元のレイ競技場でゴールを決めた後に金網によじ登って喜びを表す姿は今でもニースのファンのまぶたに焼き付いている。ランゲルは代表でも、73試合に出場し、8得点をあげたのである。(続く)