第9回 フランス・サッカーがライバル心を燃やす二つの大国
■戦争をスポーツに昇華した欧州人の英知
サッカーは戦争である。そのようなフレーズが日本でも聞かれるようになった。欧州は地続きで古くから戦争を繰り返してきたが、町同士で死人の頭蓋骨を蹴りあって相手の町の門(ゴール)に入れる争いがフットボールの原型であった。争いをゲームとし、スポーツにしてきたことは、欧州人の英知であろう。そして、そのスポーツを国際的な場で競わせる機会をつくってきたことはフランス人の英知であろう。ワールドカップ、近代オリンピック、欧州選手権、欧州三大カップ、これらは皆フランス人の発案によるものである。
欧州ではサッカーという戦争が100年以上続いている。当然、この長い歴史の中でライバルというものが存在する。アジアのサッカーにおいても日本と韓国がその歴史的な背景もあって特別なライバル関係にあるように、欧州でも社会的、政治的な歴史の中でさまざまなライバル関係が存在する。ナショナルチームのレベルでいうならば、イングランドとスコットランド、ベルギーとオランダはその典型である。
■フランスとライバル国との歴史的背景
ところで、フランスのライバルはどの国になるのであろうか。おそらく多くの方はドイツ(旧西ドイツ)かイングランドをライバルとしてあげるであろう。
ドイツに関しては、長い間アルザス・ロレーヌ地方をめぐり両国が争いを繰り返してきたばかりか、今世紀に入って二度の世界大戦でフランス全土はドイツ軍に引き裂かれた。特に第一次大戦ではベルダンの戦いなど熾烈な戦いが続き、多くの犠牲者を出した。通常フランスで「戦後」というと第一次大戦の後のことを指す。また、第一次大戦と直接表現することを避け、フランス人はこの戦争のことを14-18と表現する。なぜならばこの戦争の期間が1914年から1918年まで続いたからである。
また、第二次大戦後の西側のメンバーとしても政治・経済の両面でフランスとドイツは緊張関係にある。特に欧州統合に向けて、フランスでは強いドイツに対する脅威論があり、これにいかに対抗していくかが今後のフランスの政治・経済の課題である。
一方、イングランド(英国)は海峡を挟んでフランス人がなにかとライバル意識を持つ国である。1066年のノルマンディー公ウィリアムI世の英国征服、百年戦争、ジャンヌ・ダルク、トラファルガー海戦、ワーテルローの戦いと750年間敵対してきた。今世紀になってからは敵味方に分かれることはなくなったが、 今年は日本で「英国年UK98」と「日本におけるフランス年」というキャンペーンを展開し、自国文化の宣伝合戦を行っている。
■意外にもドイツに勝ち越しているフランス、しかしイングランドには・・・
さて、サッカーの世界においてフランスとこの両国との関係はどうなっているだろうか。フランスと西ドイツというと1982年のワールドカップ・スペイン大会の準決勝の死闘が思い起こされる。この試合、1-1のまま延長に入り、フランスが2点を奪ったが、カール・ハインツ・ルンメニゲを投入した西ドイツが2点をあげて追いつき、結局3-3のままPK戦に突入、フランスは敗れてしまう。この試合はフランス代表のワールドカップ史上最高の試合にランキングされている。
不思議なことに東西ドイツの統合後、フランスはドイツと一度も対戦していない。フランスと西ドイツの最後の対戦は1990年2月28日、すでにワールドカップ予選で敗退したフランスが、その4か月後に世界の頂点に立つ西ドイツをモンペリエに迎え、ジャン・ピエール・パパンとエリック・カントナのゴールで2-1で下した。さらに不思議なことに、この両国の通算対戦成績はフランスが8勝5分7敗と勝ち越している。
一方、イングランドとは1992年の欧州選手権で優勝候補の本命と対抗といわれながら、予選リーグで同じ組に入り両チームとも予選敗退したことが記憶に新しい。(このときの対戦は1-1のドロー、最新の対戦は昨年のプレ大会で1-0でイングランドの勝利)またイングランドが、1989年4月から1992年2月まで3年近く不敗だったフランス代表を聖地ウェンブリーに迎え、2-0で破り本家の面目を保ったことも特筆すべき対戦である。両国の通算対戦成績においては、フランスはイングランドに相性が悪く6勝4分23敗と大きく負け越している。
ところが意外なことに、フランスサッカーの過去の対戦成績から見た最大のライバルは、この両国以外にあるのである。(つづく)