第10回 フランスの真の好敵手はベルギー
■フランス・サッカー協会にある2枚の地図
欧州社会においてフランスのライバルと考えられているドイツ(西ドイツ)と英国(イングランド)とフランスは、サッカーでも数々の名勝負を演じてきた。しかし、フランス・サッカーの本当のライバルは別の国である。
パリ16区イエナ通り60bis番地、ここにフランス・サッカー協会がある。典型的なパリの建物で、玄関のロビーには二つの地図がある。片方はフランスの地図、もう一方は世界地図である。フランスの地図には、フランスリーグとフランスカップで優勝したチームとその優勝回数がトロフィーとカップで示されている。フランス全土に優勝チームが散らばっているが東半分に多くの栄冠が輝いている。
もう一つの世界地図には、フランス代表が対戦した国に丸印が付けられており、この丸印の色と数が勝ち、負け、引き分けの数を表している。また、丸印の中には対戦した年が記入されている。日本にも中に94と記入された青丸(勝ちの印)が一つつけられている。(東アジアで唯一の丸である)しかし、ほとんどの丸印は欧州に集中しており、欧州の部分は拡大されている。この中でひときわ多くの丸がついているのが隣国ベルギーである。
■J・P・パパンの生涯最高のシュート
フランスとベルギーの対戦は67試合におよび、その成績はフランスの22勝17分28敗である。これは、イングランドとの33試合(6勝4分23敗)、イタリアとの30試合(6勝7分17敗)を引き離して圧倒的に多い。ベルギーとの初顔合わせは1904年5月1日、ブリュッセルでのことである。この試合はフランスにとっての初めての国際試合であった。試合はフランスが前半2-1で折り返したが、後半は逆に2点を取られて逆転され、終了間際にフランスが追いつき、結局3-3の引き分けであった。
両国は地理的にも近いとことから、その後試合を重ねたが、1992年3月25日以来6年間対戦がない。最後の対戦はパルク・デ・プランスで行われ、このときも2-3で敗色濃厚だったフランスが、終了直前にジャン・ピエール・パパンのボレーシュートで追いついている。現在でもボルドーで活躍中のパパンだが、「生涯で最高のシュート」と、このゴールを回想している。
■堅実・頑固・勇敢なベルギーの国民性
ベルギーは北部のフラマン民族、南部のワロン民族という二つの民族からなる国家である。フラマン民族はオランダ語の方言であるフラマン語を使い、ワロン民族はフランス語を使う。また、首都ブリュッセルはフラマン地方に属するが、フランス語が使用される。ブリュッセルは完全なフランスの文化圏であり、テレビのチャンネルの半分近くはフランスのテレビ番組である。しかし、ブリュッセルのチームのマッチデープログラムも二カ国語で書かれており、この両民族の協調がこの国を支えてきた。
世界初の立憲君主国といわれるベルギー王国の成立は1831年であるが、その名の由来は紀元前1世紀にジュリアス・シーザーがこの地で戦ったベルゲ族である。シーザーは「敵ながら勇敢でよく戦う」と「ガリア戦記」で評している。このベルゲ族の伝統が2000年後の今もなお、欧州の強国フランスを苦しめているのである。ちなみに「ベルギー」という呼び方は、江戸時代のオランダ人が日本に伝えたもので、「イギリス」や「ドイツ」と同様オランダ語読みである。
ベルギーの国民性は堅実・頑固であり、前述の勇敢さとあわせると、サッカーのスタイルはフランスよりもむしろゲルマン系のドイツの影響を受けている。
イングランド人がスコットランドやアイルランドをジョークの対象にするように、フランス人もベルギーをジョークの対象にする。
堅実で頑固なベルギー人に対する代表的なジョークは次の通りである。
「ベルギー人が死んだらどうしてわかる?」
「普段なら絶対手放さないフライドポテトの袋を落とすからわかるよ。」
■ベルギーが本大会で対戦する世界の強豪
さて、今回のワールドカップに最も多くの観客が訪れると予想されている国は日本でもブラジルでもない。パリまでブリュッセルから列車で2時間かからないこのベルギーである。ベルギーの初戦はメーンスタジアムのサンドニ、しかも対戦相手はオランダである。
ベルギーとオランダは今大会の予選を欧州第7組で戦い、ホーム、アウエーともオランダが勝ち、グループ2位となったベルギーはプレーオフに回っている。また2000年の欧州選手権を共同開催することも決まっている。そして、ビール好きのベルギー人にとって鬼門であるワインの町ボルドーでメキシコと戦った後、予選リーグの最終戦では本大会で2度目の対戦となる「アジアの虎」韓国がパリで待っている。
大挙してくるベルギー人がフライドポテトの袋を落とす瞬間はやって来るのだろうか。