第14回 日本代表の三都物語(その2)ナント

 ナントはロワールアトランティック県の県庁所在地、ロワール川が大西洋にそそぐところにある港町である。ナントには、フランスの誇る高速鉄道TGVが1990年に開通したが、その名はTGVアトランティック、車体の色も海をイメージさせる青である。フランスの港町というとマルセイユやシェルブールが有名であるが、ナントもフランス第四の港である。カトリーヌ・ドヌーブ主演の「シェルブールの雨傘」を制作したジャック・ドミー監督の第一作はこのナントを舞台にした「ローラ」というアヌーク・エーメ主演の作品であったが、ヒットしなかったという。またフランスの子どもであるならば誰でも知っている漫画の主人公タンタンが船出したのもナントである。

■ナント、それは黄色と緑の「カナリア軍団」の街

 さて、今大会で日本がグループリーグを戦う三都市にある中で最も有名なサッカーチームは、黄色と緑の縦縞のジャージのカナリア軍団ナントであろう。リーグを7回制覇し、カップも一度獲得している。
 第二次大戦中の1943年、ナント地方にある5つのクラブが合併し、FCナントが発足する。ナント市のカラーである黄色と緑をユニフォームの色とし、カナリア軍団と呼ばれる。当時ブラジル代表は白いユニフォームを着ており、このFCナントこそが元祖カナリア軍団である。
 1945-46のシーズンにはプロ化し、早くも2部リーグに昇格するが、1部リーグ昇格には時間がかかり、1963-64のシーズンまで待たねばならなかった。そして昇格2年目のシーズンとその翌シーズンにリーグ連覇という偉業を達成する。
 以後現在まで35シーズン連続で1部でプレーしており、これは現在の1部リーグでは最長老のチームである。また、今季は11位にとどまったものの、35シーズンのうち二桁順位となったのはわずか6回、通算で1310戦し、612勝374分324敗という成績は群を抜いている。スポーツ紙「レキップ」は、リーグ発足50周年の際にフランスリーグの50年間の最優秀チームとしてナントを選んでいる。

■名門クラブを襲った深刻な財政危機

 しかしながら、このチームにも苦難の歴史がなかったわけではない。それは1990年前後にフランスのクラブを襲った財政危機である。ディディエ・デシャンは16才からこのチームに所属し、20才でキャプテンマークを付けた。マルセル・デサイーもデシャンと同じ時期に在籍している。現在イタリアで白黒の縦縞と赤黒の縦縞に分かれて覇権を争い、フランス代表の屋台骨である二人が、10数年前に同じチームでプロとしてのキャリアを始めたというのは興味深い事実である。だが、クラブは深刻な財政難のために1990年代初頭に二人をマルセイユに放出しなくてはならなかった。
 また、彼ら以外にも、アルゼンチン代表として86年ワールドカップを制覇したホルヘ・ブルチャガ、後にパリサンジェルマンの主将となったポール・ルグアンなどもカナリア軍団を去った。財政難は主力選手の移籍だけにはとどまらず、1992年6月24日にフランスリーグは成績とは関係なく、財政状況を理由にFCナントの2部降格を勧告したのである。(ちなみに1991-92年のシーズンの成績は9位であった)
 この措置に対し、クラブ側は2部降格を受け入れず、1部に残留するために7月6日に臨時株主総会を開催し、クラブの運営形態を変更し、FCナント・アトランティックとして再出発し、新会長にギ・シュレー氏が就任したのである。

■シュレー氏によって再建なったクラブ ――― ビスケットにも人々の気持ちが

 シュレー氏はナント商工会議所の副会頭であり、ナントビスケット社(BN社)の会長でもある。ナントをはじめとするフランス北西部地方はビスケット、クレープなどの産地で、その中でもBN社は最大手であり、有力な地場産業である。米国のペプシの子会社でありながら、「最もフランスらしいビスケット」というコンセプトで商品展開を行っている。四角いビスケットにチョコで目と口を付けた「チョコBN」という商品は大ヒット商品となった。ナント地方の経済を支えるBN社の成功は「消費者の近くで経営を行う」ことをモットーとするシュレー氏の経営手腕によるところが大きい。
 シュレー氏は、学生時代はラグビーの選手であり、地元財界の有力者として新生FCナント・アトランティックの会長職を依頼され引き受ける。シュレー氏の実力は、サッカークラブの経営でも発揮され、財政危機に瀕していたクラブの救世主となった。そして1982-83年のリーグチャンピオン以来ビッグタイトルに縁のなかった名門は、新体制初年にはフランスカップで10年ぶりに決勝進出、翌年のUEFAカップではベスト8進出、1994-95年には12年ぶりにリーグ優勝、翌年のチャンピオンズリーグでは準決勝まで進出する。
 ナントで行われるクロアチア戦にもたくさんの日本人が来られるであろう。ナントの名物料理をガイドブックで探される方も多いと思うが、フランス中いたるところで販売されているBN社のビスケットにこそ名門カナリア軍団の危機を救ったナントの人々の魂が込められている。たかがビスケットとあなどるなかれ。農業国フランスでは重要な産業であり、地方都市にもサッカークラブの経営危機を救うことができる経営者のいる国、それがフランスなのである。

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