第47回 ナント、大荒れのフランスカップを制覇

■強豪チームが次々と姿を消した史上初の珍事

 本連載の第38回「ジャイアントキリング続出のフランスカップ」で1部リーグに所属する18チームのうち、9チームが緒戦にあたるベスト32決定戦で早々と姿を消したとご紹介した。その後も波乱続きで、今年は歴史に残るフランスカップであった。
 パリサンジェルマンは、濃霧のため再試合となった緒戦を延長戦の末に突破したが、ベスト16決定戦ではまたもやドロー(組み合わせ抽選)の悪戯か、強豪ナントと対戦することになってしまった。また、同じベスト16決定戦ではランスvsマルセイユの組み合わせもあった。こうした1部リーグの強豪チーム同士の対戦が相次いだ上、ベスト16決定戦で2部リーグ以下のチームと対戦した1部リーグの5チームのうちメッス以外はすべて敗れるという波乱が続いた。この結果、ベスト16に残った1部リーグのチームはランス、ナント、メッスのわずか3チーム。古い資料をひもとかなくとも史上初の珍事であることは間違いない。
 3月中旬に行われたベスト8決定戦では再び1部同士の対戦が実現し、メッスはホームの利を活かせず1-3でナントに敗れる。残るランスもホームで2部のラバルにPK戦で敗退し、ベスト8に残った1部リーグのチームはナントのみということになった。

■UEFAの改革も、フランスカップの価値は変わらない

 一方、もう一つのカップ戦であるリーグカップは並行して行われ、こちらはベスト8はすべて1部リーグのチームという対照的な経過をたどった。しかしながら今季リーグで激しく優勝争いを続け、UEFAカップでも上位進出したマルセイユ、ボルドー、リヨンは早々と敗退し、優勝チームに与えられるUEFAカップの出場権を狙うリーグ中位以下のチームが名を連ねた。
 来シーズンから欧州三大カップはその姿を大きく変える。各国のカップチャンピオンが競うカップウィナーズカップは唯一フランスのクラブチームがタイトルを獲得(1996年のパリサンジェルマン)したカップ戦であり、フランス語では「カップのカップ」と言われている。しかし、バーミンガムのビラパークでのラツィオの優勝でその幕を閉じ、来シーズンからは拡大されたチャンピオンズリーグとUEFAカップの二大カップとなる。もちろんフランスカップの獲得チームにはUEFAカップの出場権が与えられるが、チャンピオンズリーグ出場権の拡大が国内の二大カップ戦に微妙な影響を与えていることは否めない。
 しかし、フランスカップはフランスカップである。他国同様、カップ戦のファイナルには国家元首が臨席し、試合前には国歌の演奏、満員の観衆が大統領の方向を向いて国歌を歌う。第二次世界大戦の占領下においても中断されることなく行われてきた大会である。商業主義という批判が少なくない今回のUEFAの決定も、フランスカップの価値を下げることはないのである。

■20年前の栄光も、相手の素晴らしいプレーで脇役に

 さて、ランスがメッスを1-0で破り、初のリーグカップを獲得したその翌週、フランスカップの決勝は行われた。1部リーグのチームで唯一ベスト8に残ったナントはプレッシャーに負けず準々決勝でガンガンを2-0、準決勝ではニームを1-0とホームで手堅く2部リーグのチームの挑戦を退け、1993年以来7度目の決勝進出である。(クラブの詳細については本連載の第14回「日本代表の三都物語(その2)ナント」をご参照ください)
 もう一つのファイナリストはベルギーとの国境近くにある名門スダン。5度目の決勝進出である。スダンは準決勝で同じ2部リーグのルマンを4-3で下したが、この試合は総得点の7点のうち5点は延長戦に記録されたという壮絶な試合であった。スダンは1919年創立、リーグ優勝はないものの、カップは1956年と1961年の2度獲得している。今シーズン、ナショナルリーグから復帰してきたばかりであるが、フランスカップの決勝の段階では1部復帰をほぼ確定しており、上り調子のチームである。
 2部リーグのチームの決勝進出は11年ぶり8度目のことであり、今までカップを獲得したのは1959年のルアーブルだけである。ちなみに現在の代表監督のロジェ・ルメールは選手時代に両チームに所属したことがあり、スダンでは2度、ナントでは1度決勝進出をしたが、いずれも栄光を獲得することはできなかった。
 ナントは過去6度決勝進出しているが勝ったのは1979年のわずか1度、このときのファイナルの相手は当時まだ2部のオセール。延長で4-1と振り切り初優勝を遂げたが、パルク・デ・プランスを埋めた4万6000人の大観衆はギ・ルー率いるオセールの見事な戦いに魅了された。この試合はオセールの歴史を語る上で欠かせないものとなり、勝ったナントが脇役にまわった。

■6年前の屈辱をバネに20年ぶりのカップ獲得

 そして6年前のパリサンジェルマンとの決勝はこのクラブの歴史で最大の汚点ともいえる試合であった。地元パリサンジェルマンが試合を支配する。前半は0-0のまま終了したが、事件は後半開始早々に起こる。当時ナントに所属し、昨年のワールドカップでも活躍したクリスチャン・カランブーがペナルティーエリア内でファウル、退場となる。このPKをアントワン・コンブアレが難なく決めてパリサンジェルマンが先制。その後もダビッド・ジノラのFK、アラン・ロッシュのヘッドと得点を重ね、パリジャンは沸いた。
 しかしながらナントは、ゾラン・ブリッチ、ジャン・ルイ・リマが退場処分を受け、試合終了時にナントの選手はフィールド上にわずか8人しかおらず、しかも得点どころかシュート数も0という屈辱の完敗。特にカランブーが退場時に審判に抗議したことはフランスカップ決勝の歴史を汚したと非難された。冷徹なパリジャンは地元チームの優勝を喜ぶのではなく、ナントに対する猛烈なブーイング。地元チームがカップ戦で優勝したにも関わらず、相手に対してブーイングの嵐というケースはそうあることではないだろう。フランソワ・ミッテラン政権になって久しぶりのファイナルも台無しになってしまったのである。
 そのナントが1部の意地と前回の決勝での屈辱をバネに今年のファイナルを戦った。やや優勢に試合を進めたナントは、57分にフレデリック・ダロシャへのファウルで得たPKをオリビエ・モンテルビオが決めて1-0で勝利。20年ぶりのフランスカップを獲得した。チームの主力は自前で育てた若手選手。カナリア軍団が名門にふさわしい戦いで大荒れのフランスカップを制したのである。

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