第48回 ボルドー、12年振り5度目のリーグ制覇
■最終節までもつれた覇権争い
5月29日午後8時、フランス各地で1部リーグ9試合が同時にキックオフされた。リーグ戦では通常9試合のうち1試合か2試合はテレビ中継のためスケジュールを前後して行われるのだが、終盤になると公平を期すため全試合が同時刻にキックオフされる。
フランスリーグの覇権の行方は、昨年に続き最終節までもつれることになった。昨年はランスとメッスで争ったが、今年はボルドーとマルセイユ。昨年10月から順位表の1位と2位はこの両チームが独占しており、1990年前後に火花を散らした両雄の10年振りの優勝争いはファンを熱くさせた。
最終節を残して首位のボルドーは勝ち点69(得失点差+36)、2位のマルセイユは勝ち点68(得失点差+27)。ボルドーは勝てば優勝、ボルドーが引き分けてマルセイユが勝てばマルセイユの優勝、ボルドーが負けた場合でも得失点差から判断してマルセイユは勝たなければ優勝できない。
最終戦は両チームともアウェーでの戦い、ボルドーはパリサンジェルマン、マルセイユはナントと、いずれも強敵である。今季のパリサンジェルマンは低迷していたのでボルドー有利と予想されたが、パリサンジェルマンには最終戦に UEFAカップの予選に当たるインタートトカップの出場権がかかっている。カップウィナーとしてすでにUEFAカップの出場権を獲得しているナントとは、心理的に微妙な違いがある。
■お互いの試合経過に耳をそばだて、緊迫した展開が続いたが・・・
テレビ、ラジオで二元中継が行われる中、スタジアムにもラジオ片手で観戦のファンが目立つ(フランスリーグでは選手の精神上の観点から試合中に他会場の途中経過をアナウンスすることは禁止されている)。
まずパリで試合が動いたのは20分、得点王確実のボルドーのシルバン・ビルトールが先制点。ナントのボージョワールではマルセイユのロベール・ピレスが38分に先制点。45,086人と発表されたパルクデプランスの観客の携帯電話が次々と鳴る。引き分け以上ならばインタートト出場の可能性があるパリサンジェルマンはブルーノ・ロドリゲスが57分に同点ゴール、ここでマルセイユが優位に立つ。すかさずビルトールが60分に勝ち越し点、ボルドーが優勝に近づく。
後半に入り目の前での優勝を阻止したいパリサンジェルマンは粘り、78分にアウダイルトンが得点し再び追いつく。このままで試合が終わると覇権は6年振りにマルセイユに行く。ベンチの動きがあわただしくなるボルドー、インタートト出場のライバルのモンペリエがバスティア相手に追加点を重ね、目の前の優勝阻止だけが緊張感をつなぎ止めているパリサンジェルマン。緊張の試合展開、やはりドラマは起こった。ボルドーの27番パスカル・フェインデューノが89分に決勝ゴールを上げる。ジャン・ピエール・パパンの背番号を受け継いだ18才が歴史をつくった。歓喜する6,000人のボルドーサポーター。試合終了とともにボルドーの中心部には多数の市民があふれ、12年振りの優勝に沸いたのである。
■近代経営でクラブを80年代の栄光に導いたクロード・ベス会長
さて、今シーズンの両チームの戦いを語る上で忘れてはならない試合と出来事がある。1月29日、ボルドーがレスキュールにマルセイユを迎えた試合である。首位マルセイユを勝ち点3差で追うボルドーが勝ち、得失点差で首位を奪還した。5分にビルトールが先制、以後も得点を重ね、マルセイユの反撃を1点に抑え、4-1で完勝した。この試合が今シーズンを象徴していると言われているが、この試合は単純な首位攻防戦ではない。
この試合の3日前にボルドーの元会長クロード・ベスが亡くなった。享年58才。1974年に会計担当としてボルドー入りし、1978年から1990年まで会長を務め、80年代のボルドーの黄金時代を支える一方でスキャンダルやトラブルには事欠かなかった。トレードマークの見事な口ひげを蓄えたベスはその人生をサッカー界に捧げ、数々の栄光を重ねたが、全盛期のマルセイユを倒すことができなかった。
1980年には監督にエメ・ジャッケを招聘、黄金時代の基盤を築くこととなる。ジャッケ体制の初年にはリーグ戦で3位に入り、UEFAカップの出場権を獲得する。これを皮切りに実に8年連続欧州三大カップ出場という偉業を達成する。80年代のボルドーの黄金期についてはあらためて紹介する機会をつくりたいが、3度のリーグ制覇、2度のフランスカップ制覇、欧州三大カップで2度のベスト4入りを成し遂げている。もちろん後に世界を制することになるジャッケの采配、アラン・ジレース、ジャン・ティガナ、パトリック・バティストンなど卓越した選手の功績も大きいが、大物会長ベスの手腕を抜きにこの黄金時代を語ることはできない。
ベスはボルドー市長や協会幹部と接触する一方、フランスサッカー界における最初の近代的な経営者として、テレビの放映権、クラブショップ、VIPシートなどで増収につとめた。また、金儲けだけではなく、1987年にはクラブの本格的な練習施設をボルドー近郊のルアイヤンに設置し、高く評価されている。
■ライバル、ベルナール・タピとの戦い
1980年代のフランス・サッカーを圧倒してきたボルドーであるが、1980年代の最後に強敵が現れた。マルセイユ会長のベルナール・タピである。資金力にものを言わせ、赤字覚悟で有力選手を補強し、国内での覇権だけではなく、欧州三大カップでも上位に進出した両チームの戦いはまさに黄金カードであった。ボルドー-マルセイユの戦いは単純にクラブ同士、町同士の戦いだけではなく、ベスとタピという80年代のフランス・サッカーを活性化させた二人の大物会長のグラウンド内外での熱い戦いでもあった。中でも印象的な戦いは、1990年4月14日のマルセイユでの戦いである。ベスはキャデラックでベロドロームに駆けつけるたが、マルセイユは2-0でボルドーを下し、2連覇に向けて前進した。
ベスも赤字覚悟で有力選手を獲得し、1989年には2億円の赤字を計上、ジャッケ監督を更迭する。そして翌年には赤字額は26億円にふくれあがり、ついに会長の座を辞す。しかもボルドーは経営の破綻からフランスリーグ2部降格を命じられるという屈辱を味わう。ベス自身も不正経理を問われ、懲役3年の有罪となり、2月22日に法廷に出頭する予定であった。
タピも八百長疑惑で会長の座を去り、1980年代後半からフランスとヨーロッパを沸かせたボルドー、マルセイユはすっかり色あせてしまった。しかし今年はこの両チームが見事復活し、1月29日の決戦となった。マッチデープログラムには現会長のジャン・ディディエ・ランジュが追悼の文章を寄稿し、試合前には1分間の黙祷の後、キックオフ。もちろん今のボルドーには会長のベスを知る選手はいない。そして、この完勝は4月後の12年振りのリーグ制覇への大きな一歩となったのである。