第81回 さらば、デシャン、ブラン
■感慨深い2人の引退
ディディエ・デシャンとローラン・ブランが、9月2日のスタッド・ド・フランスでのイングランドとの親善試合を最後にブルーのユニフォームを脱いだ。ブランが早々に代表からの引退宣言をしていたのに対し、デシャンは試合の3日前まで口を閉ざし、8月30日に引退を宣言した。
ローラン・ブランは1965年生まれで、まもなく35才。フランス代表のフィールドプレーヤーでは最年長であり、フランス代表歴は97試合を数える。一方。デシャンはまだ31才であるが、フランス代表103試合出場、そして主将を務めた試合も56試合と、それぞれ歴代最多である。
欧州選手権を制したメンバーのうち、1980年代に代表にデビューしたのはこの2人だけであり、1990年代のフランス代表を担ってきた2人の引退は感慨深いものがある。
■イタリア大会を目指すプラティニが、ブランとデシャンを招集
ブランの代表デビューは、1989年2月8日のダブリンでのアイルランドとの親善試合であった。前年に始まったワールドカップ・イタリア大会予選でフランスは大苦戦を強いられ、急遽ミッシェル・プラティニがアンリ・ミッシェルにかわって代表監督になるが、ベオグラードのユーゴスラビア戦で2-3と逆転負けを喫する。
プラティニ監督は、3月のスコットランド戦に向けて、2月にスコットランドと似たスタイルのアイルランド、アーセナルとの試合を組んだ。また、ベテランのパトリック・バティストンを復帰させるとともに、モンペリエ育ちで当時ゲームメーカーを務めていたブランを招集したのだ。
アイルランド戦は、ベテランと新人の起用も実らずスコアレスドロー、翌週のアーセナルとの試合は0-2と完敗。そして本番のスコットランド戦でも0-2と負け、予選の成績は1勝1分2敗となりイタリア行きに黄信号がともる。そして勝たなければほとんどイタリア行きは消える、という試合は4月29日のパリでのユーゴスラビア戦。スコアレスドローで終わってしまったこの試合でデシャンがデビューしたのだった(第56回を参照)。
■エメ・ジャッケの説得により代表に復帰したブラン
このような「フランス・サッカー冬の時代」に、試行錯誤の中で代表にデビューしながらもその後メンバーに定着し、約100試合フランス代表として活躍してきたことは、この2人が並みの選手ではないことを物語っている。冬の時代から10年経過し、まさに「ブルー」は黄金時代を迎えた。
この10年、2人の道のりは決して順調なものではなかった。
まず、ブランは1993年11月のワールドカップ・アメリカ大会予選での敗退で代表からの辞意を示す。2度のワールドカップ予選での敗退、そして中間の1992年欧州選手権では予選を全勝で突破しながら、本大会では惨敗を喫した。当時まだ28才ではあるが、代表からの引退を考えることは不思議ではないであろう。一足早く代表入りしていた同年のフランク・ソーゼーも代表から辞意を表明する。
ブランに代表に戻るように説得にあたったのは、新たに代表監督となったエメ・ジャッケである。ブランは半年のブランクの後、1994年5月の日本遠征から代表に復活したのである。ジャッケの説得がなければブランは冬の時代のフランス代表を支えた名リベロという評価しか得られなかったであろう。
■「デシャンの時代」の扉を開いた試合
一方のデシャンについても辛い時期がなかったわけではない。1994年秋、「新大陸」でのワールドカップに出場することなくシーズンを迎えた選手の新たな目標は、2年後の欧州選手権イングランド大会であった。ユベントスに移籍したばかりのデシャンは、9月7日のスロバキア戦こそ出場したが、その後怪我によりフランス代表の試合を5試合連続して欠場することになる。この予選はスコアレスドローの連続で序盤を終わり、ルーマニア、ポーランドと同じ組のフランスはまたもやピンチに立たされる。これはジャン・ピエール・パパンやエリック・カントナが本来の調子でないことに加え、デシャンが長期にわたって戦列を離れていたことが原因であった。
デシャンが戻ってきたのは1995年4月26日、初めてプロ契約をし代表デビュー時に所属していたナントでのスロバキア戦である。この試合でデシャンはキャプテンマークを付け、フランスは4-0と快勝する。これで息を吹き返したフランスは、パルク・デ・プランスでのポーランドとの1-1の引き分けがあったものの、10月11日に大逆転をかけてブカレストに乗り込む。この試合でフランスはルーマニアを3-1と破り、本大会出場に前進した。
1981年11月18日のパルク・デ・プランス、ワールドカップ・スペイン大会予選のオランダ戦がプラティニ時代の栄華を導いたのと同じように、このルーマニア戦の勝利がデシャン時代の扉を開いたのである。
■イングランドとの引退試合はドローに
さて、デシャンとブランが新世紀を目前にして苦難と栄光のユニフォームを脱ぐ。場所は新たなる聖地となったスタッド・ド・フランス、相手は母国イングランド。これ以上の舞台と相手はいない。デビッド・ベッカム、マイケル・オーウェンという若手の実力派スター選手を擁しながら、欧州選手権ではポルトガルとルーマニアに敗れ、不本意な予選落ち。かつての名選手ケビン・キーガンが率いるイングランドの現状は、ブランやデシャンが代表にデビューしたときのフランスの状況に似ている。ドイツと同組となった2002年ワールドカップ予選の開幕も目前に控え、背水の陣である。今回もベテランを起用し、ほとんどのメンバーは欧州選手権出場メンバーであるが、キーガンは負傷者に代えてリーズに所属し今季リーグ4試合で早くも5得点を記録している19才のアラン・スミスを代表に招集する。
イングランドにとっては過去23勝4分7敗と一方的に勝ち越している相手であるが、本連載の第39回で紹介したとおり、直前の対戦ではホームで不名誉な初黒星を喫しており、復讐に燃えるイレブンは前半から果敢に攻める。59分、デシャンとブランが万雷の拍手を受けてピッチを去る。不思議なものでこれで流れが変わり、64分にはエマニュエル・プチが同僚のデビッド・シーマンの壁を破り先制。その後フランスが攻め続けたが、86分に引き分けに持ち込んだのはキーロン・ダイヤーとオーウェンの途中出場のコンビであった。
ブラン、デシャンは花道を勝ち星で飾れなかったが、あわせて200キャップの2人のキャリアも引き分けでスタートした。苦難から栄光へと登りつめた11年の代表生活を終えた2人に感謝の拍手を送りたい。