第87回 スダン、34年ぶりに首位に立つ
■多くの戦傷者を出した町に誕生したクラブ
緑をチームカラーとする代表チームはアイルランド、メキシコが有名であるが、クラブチームでは意外に少なく、パナシナイコス(ギリシャ)、パルメイラス(ブラジル)が思い浮かぶ。日本のファンならばヴェルディ川崎を連想されるであろう。フランスで緑の軍団というと本連載の第52回で紹介した古豪サンテエチエンヌが代表的であったが、新たにこの名誉ある称号を受け継ぐこととなったのが今回紹介するスダンである。
ヴィッテルの近くに源を発するムーズ川は、今年の欧州選手権の舞台であるベルギー、オランダを流れて北海に流れ込む。ベルギーやドイツ国境に近いところを流れることもあり、フランス国内の流域にはヴェルダン、スダンなど、過去に多く戦傷者を出した町がある。特にスダンは普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦での激戦地である。第二次世界大戦以上の激戦であった第一次世界大戦の終戦の翌年1919年に、スダンにサッカークラブが誕生した。
■50年代に躍進しフランスカップを獲得
平和とともにやってきたこのクラブが、初めてのタイトルであるマルヌ・アルデンヌ地方リーグを制したのは、次の戦火のあとの1949年のことであった。1950年にはフランス北東リーグを制し、1951年にはアマチュアのリーグとカップの二冠を達成する。1954年にプロの2部リーグに昇格、1954-55のシーズンには39戦連続無敗を記録して2部リーグで優勝し、1955年に1部リーグに昇格した。
1956年にはフランスカップで決勝に進出、トロアを3-1で下して栄冠に輝く。また1961年にはザシャリ・ノアを擁してニームに3-1で勝ち、第五共和制の開始をはさみフランスカップ・ウィナーとなる。1965年にも決勝に進出するが、レンヌに敗れる。1971年に2部に降格し、一度は1部リーグに復帰したが、1974年以降は1部リーグに復帰することもカップで上位進出することもなく、北東部の古豪としてファンの記憶の片隅に追いやられていた。
■90年代終盤、クラブの躍進が始まった
リーグでは2部と3部(ナショナル)を昇降する状態が続いていたスダンに1997-98のシーズン以来、大きな変化が起こった。1997-98シーズンにナショナルリーグを制覇し、1998-1999シーズンでは2部リーグで緑の軍団の本家であるサンテエチエンヌに続く2位となり、実に25年ぶりの1部復帰となったのである。またフランスカップでも決勝に進出し、ナントと対戦、オリビエ・モンテルビオのPKで0-1と惜敗する。しかしながら、わずか1年で2部リーグを通過した勢いは1部に復帰した1999-2000シーズンに継続され、13勝9分12敗と勝ち越して7位に入り、1部復帰初年でインタートトに出場したのである。
フランス第2代表となったインタートトは2回戦から参戦、代表が欧州選手権に優勝した7月2日にライフツール(イスラエル)と対戦し、ホームで3-0、アウエー(7月9日)で3-2と連勝し、3回戦に進出した。相手はドイツの第1代表であるヴォルフスブルク。7月15日のホームではスコアレスドロー、22日のアウエーでは33分に先制されながら、56分にピウス・エンディエフィのゴールで追いつく。このまま行けば4回戦進出と思われた79分にマジャイド・アジャウが痛恨のオウンゴール。39年ぶりの欧州カップ出場を逃したのである。
そして上昇機運の続く今シーズン、序盤から上位につけていたスダンは11月4日の第14節で前節まで5位のガンガンとアウエーで対戦した。過去8節で6勝2分と上り調子のガンガンに対し、40分と77分にベルギー代表のトニー・ブロニョ、88分にエンディエフィが追加点を上げ、3-0と完勝する。勝ち点24で首位のパリサンジェルマンがアウェーでオセールに0-1で敗れたため、勝ち点25となったスダンが首位に躍り出たのである。スダンが首位になったのは1966年8月以来34年ぶりのことである。しかもこの時はレンヌに3-1、ソショーに3-0と連勝した第2節を終了したばかりであり、シーズン中盤以降の首位というのは1963年2月の第27節終了時までさかのぼることになる。1962-63シーズンと1969-70シーズンに3位に入ったのが、クラブのリーグにおける最高成績である。
■新スタジアムでの活躍に感じる平和の尊さ
さて、スダンの本拠地は17,000人収容のエミール・アルボー・スタジアムであった。昨シーズンの1試合当たりの平均観客動員は12,953人で、平均して収容人数の76%が埋まったことになる。この伝統あるスタジアムに代わり、新スタジアムのルイ・デュゴーゲ・スタジアムがこの度完成し、10月10日のレンヌ戦が初戦となった。プロ選手としてこのチームでデビューし、現在は代表チームの監督であるロジェ・ルメール、シドニーオリンピックで優勝した柔道のダビッド・ドゥイエの二人を迎えて行われたこの試合で、スダンは幸先よく2-1で勝利を収める。
新スタジアムの名前に冠されているルイ・デュゴーゲは1948年から1974年までスダンの監督、1967年8月から1969年3月までは代表監督も務めた経歴の持ち主である。この試合に招待されたルメールは8年間このチームに所属したこともあり、感慨はひとしおであったであろう。人口21,000人に24,000人収容で最新設備を兼ね備えたスタジアムが建設されたことは、今秋会長に就任したパスカル・ウラノの手腕によるところが大きい。ウラノは久しぶりにフランスリーグに登場した実力派会長である。
新スタジアムの完成まで14位だったスダンはその後勝ち点を伸ばし、1カ月も経たないうちに首位に躍り出た。そしてスダンは、久しぶりの首位として第15節の11月11日に本拠地にマルセイユを迎え、2-0と完勝し、首位を守る。奇しくも11月11日は第一次世界大戦の戦勝記念日であり、それまで激戦の舞台となっていたスダンに平和が訪れた日である。最も厳しい戦いであった戦争の終結とともに誕生したこのサッカークラブの歴史を振り返ると、あらためて平和の尊さとスポーツの強さを痛感するのである。