第89回 今世紀の有終の美を飾ったブルー
■今年最後の対戦国はトルコ
ロッテルダムでイタリアを下し、欧州の覇者となってから、8月に世界選抜に5-1と完勝したものの、その後イングランド、カメルーン、南アフリカと3戦連続で引き分けに終わったフランス代表。今世紀最後の試合は11月15日のトルコとのイスタンブールでの対戦となった。
フランス代表に3戦連続して勝ち星がなかったのはワールドカップ・フランス大会を目前に控えた1998年2月から4月にかけてのノルウェー(3-3)、ロシア(0-1)、スウェーデン(0-0)との3連戦以来のことであるが、今回はディディエ・デシャン、ローラン・ブランの代表からの引退に加え、「アフリカシリーズ」では負傷者が続出するという不運が重なった。しかし、トルコ戦はジネディーヌ・ジダンをはじめとしてほぼベストメンバーが揃った。
トルコとの過去の対戦は、前回の欧州選手権後の1996年10月9日にパルク・デ・プランスでの1試合のみである。フランスは欧州選手権本大会に初出場を遂げたばかりのトルコをローラン・ブラン、レイノー・ペドロス、ユーリ・ジョルカエフ、ロベール・ピレスのゴールラッシュで4-0と一蹴したのである。イングランドでの欧州選手権で準決勝に進出したフランスは、グループリーグで3戦3敗で1得点もあげることができずに最下位で敗退したトルコとの格の違いを見せつけた。
■トルコが西欧と結びつきを深めた理由
しかしながら、それから4年、フランスは二つの栄冠を獲得したが、一方のトルコも確実に進歩の後を見せた。1998年ワールドカップ・フランス大会予選ではオランダ、ベルギー、ウェールズ、サンマリノとともにグループ7に入り、最終戦まで本大会出場の期待をつないだが、オランダ、ベルギーにわずかに及ばず3位にとどまった。そして、今回の欧州選手権予選ではグループ3でドイツと激しい首位争いを続け、直接対決となったアウェーの最終戦は0-0でグループ2位となり、アイルランドとのプレーオフに回った。トルコはこれをアウェーで1-1、ホームで0-0と乗り切り、2大会連続の本大会出場権を獲得したのだ。1992年のアンダー18欧州選手権、1994年のアンダー16欧州選手権で優勝した若手も育っている。クラブレベルでは今年のカップウィナーズカップ決勝でアーセナルを倒してトルコで初めての欧州カップを制したガラタサライの活躍が記憶に新しい。
敗戦国の西ドイツは第二次世界大戦後の復興期の高度経済成長のために、1960年10月にトルコと協定を結んで外国人労働者の受け入れを積極的に行い、高失業率に悩むトルコから大量の移民を引き受けた。この出稼ぎ労働者は本国に送金を行い、トルコの貿易収支の赤字を緩和することになり、トルコ人は西欧志向が強くなったのである。したがって、トルコ代表にもドイツやイングランド出身の選手が見受けられ、彼らはブンデスリーガやプレミアリーグで活躍している。
トルコはもともとサッカーの世界では欧州ではなかったが、1962年にUEFAに加盟し、欧州サッカーの一員となった。ちょうどドイツをはじめとする西欧の国との人的交流が拡大したころである。
■フランス式教育を受けた生徒たちが結成したクラブ
ブルー(フランス代表)の今世紀最後の試合会場は、トルコ代表のホームスタジアムでもあるイスタンブールのイノニュ・スタジアム。第2代大統領の名前を冠したこのスタジアムは収容人数20,700と発表されているが、熱いサポーターの集まる世界で最も危険なスタジアムの一つであり、ガラタサライの本拠地である。
ガラタサライは、フランス式の教育をする名門校であるガラタサライ高校の生徒たちが1905年に結成したクラブをその起源としている。1868年にガラタサライ(ガラタ宮殿)の跡地に建てられたオスマン帝国最古の高校は、国史や国文学以外は全てフランス語で授業が行われ、フランス語を自在に操るエリートを輩出している。トルコにサッカーが伝来したのは1885年、日本やフランスと同様、イギリス人がもたらしたものである。英語、サッカー、ビートルズが英国の代表的な輸出品であるならば、フランスの代表的な輸出品はエリート教育を行う教育機関であろう。フランス人がつくった学校のサッカークラブが、欧州を代表するクラブにまで成長するケースは珍しいであろう。
■今世紀の戦いを見事に締めくくったブルー
このようにトルコと意外な関係を持つフランスとの対戦に集まった観衆はわずか1万1000人。ガラタサライの試合では文字どおり火の海となるスタジアムからは想像もつかない静けさである。そして試合はフランスの一方的な内容となった。15分にエマニュエル・プチのFKを受けたダビッド・トレズゲが先制点。22分にはもう一人のツートップのシルバン・ビルトールが2点目、前半終了直前の44分には先発メンバーで最も代表歴の少ない代表9試合目のジョアン・ミクーが3点目を決める。後半に入ってややトルコが盛り返したが、74分に左サイドのミクーからのパスを受けたローラン・ロベールが4点目を挙げ、終わってみれば4年前の初対戦と同じ4-0の大差となった。
1904年5月21日の、隣国ベルギーとの対戦(ブリュッセル)から数えて、これがフランス代表にとって601試合目となる。601戦で268勝122分211敗である。最初の10年は36戦で10勝4分22敗と大きく負け越していたが、最後の10年は110戦で69勝29分12敗と大きく勝ち越し、特に最後の1年は17戦で12勝4分1敗と見事な成績で世紀を締めくくった。
隣国から始まったブルーの航海の今世紀の締めくくりとなる最後の寄港地は「東西文明の架け橋」と言われるトルコである。この架け橋の向こう側のアジアでは、2002年に韓国と日本で行われるワールドカップが待っているのである。