第92回 サッカー観戦の特等席(後編)
■自宅のソファーでのテレビ観戦
前回の本連載ではスタジアムのシーズンシート、ゴール裏、VIPシートを紹介したが、「特等席」はスタジアムだけとは限らない。
まずは自宅のリビング。フランス人はテレビを見ない、と言われたのは遠い昔のこと。翌日に学校がない日だけテレビ観戦を許可されたジネディーヌ・ジダンが週末のサッカー中継を見てサッカー選手としての想像力をふくらませたという逸話(本連載第36回参照)もあるが、現代のテレビ抜きにフランス人の生活は語れない。必ずしも好ゲームになる保証のないスポーツの試合、冬場になれば氷点下、場合によっては騒ぎに巻き込まれる。そしてキックオフは夜8時で試合終了となると10時近く。夕食も中途半端になるし、帰宅の時間を考えると週末とはいえ、外出したくなくなる。そしてもちろん入場料も必要だ――。
というわけで、経済観念の発達した多くのフランス人はテレビ観戦を決め込み、自宅のソファーが特等席となる。
フランスでは、通常のリーグ戦が普通のテレビ局でオンエアされることはまずない。リーグ戦についてはCanal+ (カナルプリュス)、Superfoot(シュペールフット)などの契約型のテレビで放映されるだけである。近年はマルセイユ、ボルドーといったチームが多チャンネル化の流れに乗り、独自のチャンネルを設立しているが、自分の見たいリーグ戦の試合が多元中継以外で簡単に見られる時代にはまだなっていない。
一方、フランスカップ、リーグカップといった国内のカップ戦になると、決勝や準決勝だけではなく、好カードを選んで一般の地上波で放映される。また、代表の試合や欧州カップについても同様であり、特別な装置を購入することや、追加料金を払うこともなく、ビッグゲームを楽しむことができる。
リビングのソファーでテレコマンド(フランス語でリモコンのこと、フランス語とはなんとすばらしい言葉か!)ひとつでチャンネルを選び、食事をしながらあるいはコーヒーを飲みながらサッカーを楽しむ快楽。これぞ特等席、というフランス人は多い。ちなみに昨年7月2日の欧州選手権決勝(フランスvsイタリア)のテレビ視聴者は2,140万人と推定され、昨年1年間でもっとも視聴者が多かった。
■なじみ客同士の雰囲気が楽しいパリのカフェ
しかし、ビッグゲームがある日に外出せず、いつもと同じ自宅のリビングで過ごすというのではビッグゲームならではの非日常性がない。友人を招いて一緒にテレビ観戦すれば別だが、家族以外に同志がいないというのも物足りない。喜びも悲しみもともに分かち合う存在があってこそ、サッカーに限らずスポーツ観戦の楽しみは倍増する。
そういう「テレビ観戦以上、スタンド観戦以下」でサッカーを楽しもうとする多くのフランス人が選択するのが、カフェでのテレビ観戦である。地方あるいは外国からパリに住んだ人が一人前のパリジャンになるためには「なじみのパン屋とカフェをつくること」と言われている。毎朝バゲットをパン屋に買いに行くと、店員は顔を見ただけで好みの焼き具合のバゲットを選んでくれる。無造作にバゲットを紙に包み、店をでるときにお互いに「ボンジョルネー(今日も一日いい日になりますように)」と声をかけるのがパリジャンの一日の始まりである。
そして昼休み、フランス人が過ごすのがオフィスの近くのカフェ。しかし、カフェに立ち寄るのは昼休みだけではない。オフィスから自宅に帰る途中、映画や演劇を見た後、土日にマルシェ(朝市)で買い物を済ませた後、カフェでの憩いの一時はフランス人の快楽である。
カフェはコーヒーを飲むだけではなく、クロワッサンやチョコレートパンなどのパン類、サンドウィッチなどの軽食、昼や夜には時間のかからない定食メニューも用意されている。そしてもちろんアルコールも欠かせないメニューであり、時間帯によって客層も注文を受けるメニューも変わる。カフェのマスターはどの曜日のどの時間帯には誰が何を頼みに来るということを熟知している。なじみの客はカウンター越しからマスターにまず握手で迎えられ、なじみの客同士もお互いに握手をし、会話が弾む。
■カフェのカウンターこそがサッカー観戦の特等席
最近はインターネットカフェなるものも登場しているが、カフェには旧式のゲーム機が備え付けられている。そして欠かせないアイテムとしてテレビがある。普段はテレビがついていても誰も気にとめないが、前述のようにテレビでビッグゲームがある時は、なじみの客が集まって異様な盛り上がりを見せる。この日ばかりはなじみ客以外は入店お断りである。ビッグゲームをカフェのカウンターで見ることはプラチナチケットを入手することよりも難しいことかもしれない。
夕暮れとともにテラスの椅子を片づけ、なじみの客が来たときだけ店内に招き入れ、マスターを中心に店内が熱く燃え上がる。ティエリー・ローランとジャン・ミッシェル・ラルケというフランスを代表するアナウンサーと解説者の掛け合いに「ウィ!」「ノン!」の大合唱が起こる。端の方に座ってビール片手に「自分はサッカーなんかに関心はない」と無関心を装っていても、得点シーンの後には拳を上げて雄叫びを上げる。カフェのカウンターこそ、フランスにおいてサッカー観戦の特等席なのかもしれない。
このように、フランス人の生活に欠かせないカフェは、スポーツシーンにおいてもコミュニケーションの場となっているのである。
あなたもいつの日かパリのカフェで私と一緒にフランスサッカーを応援しませんか。そしてジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールが実存主義をサンジェルマン・デ・プレのカフェで語り合ったように「フランス・サッカー実存主義」について熱く語り合いましょう。
長い間のご愛読ありがとうございました。
*J・P・モアン「フランス・サッカー実存主義」は、今回をもって休載させていただきます。98年1月の連載開始以来、92回の長きにわたりご愛読いただき、誠にありがとうございました。(筆者+編集部)