第228回 スイスと32回目の対戦(2) 多言語国家スイスとそのフランス語圏
■スイスの国名表示「CH」
陸続きの欧州、パリの凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワール広場の周りを走る自動車にはフランス以外のナンバーのついている車も多い。その車がどの国の車であるかはナンバーだけではなくクルマに貼られたステッカーからも判別できる。Dならばドイツ、Iならばイタリア、Eはイングランドではなくエスパーニャ、つまりスペインである。Sがスイスかと思う読者の方がおられるかもしれないが、Sはスウェーデン。実はスイスの車にはCHというステッカーが貼られていのである。このCHというのは実はラテン語でスイス連邦を意味するConfederatio Helveticaの頭文字である。Helveticaとは紀元前1世紀にこの地に居を構え、ローマ軍侵攻で消えてしまったケルト系民族のことである。スイスが多言語国家であり、従来からのドイツ語、イタリア語、フランス語に1938年の国民投票で新たに認められたラテン語系のロマンシュ語が加わり、4か国語が公用語として認められているので、バランスをとるためにいずれの公用語にも当てはまらない表記を利用しているのである。
■20%に満たない人口のフランス語圏
その4つの言語の使用されているエリアと人口であるが、最も多くの人口を抱えるのがドイツ語圏であり、国土の中央部ほとんどを占め、このエリアの人口は全体の65%を占める。それに続くのがフランス語であり西部のジュネーブやローザンヌのあるエリアで人口比は18%、イタリア語は南東部のベリンツォーナなどのあるエリアで人口比は12%、そしてロマンシュ語はサンモリッツのある東部の山岳地帯で使用され、人口比は1%である。なお、スイスでは小学生のうちからドイツ語、イタリア語、フランス語のうちの2か国語を学ぶことが義務付けられている。この多言語国家においてフランス語圏は大きな勢力を誇っているわけではない。世界どこの国にも存在するナショナルデーはスイスの場合、8月1日の建国記念日であるが、これは前回の連載でも紹介したウーリ、シュビーツ、ウンターバルデンという3つの地方の相互援助協定が1291年8月1日に締結されたことに由来する。そしてこれらの地区はいずれもドイツ語圏であり、フランス語圏がスイス連邦の一員となったのはナポレオン失脚後の19世紀初めまで待たなくてはならない。
■フランス語圏とフランスの緊密な関係
このようにサイズも歴史もドイツ語圏に及ばないフランス語圏であるが、スイスとフランスとの関係は緊密である。国外に在住しているスイス人は約40万人いるが、このうち一番多い居住国はフランスである。また、フランス語圏とフランスの関係は、ドイツ語圏とドイツの関係やイタリア語圏とイタリアの関係に比べてはるかに緊密である。ジュネーブは、TGVでパリと結ばれていることもあり、スイスの首都ベルンよりもフランスの首都パリの方が市民にとってなじみが深い。ジュネーブの市民が見るテレビはフランスのテレビであり、週末になると、物価の高いスイスから国境を越えてフランスのスーパーに買出しに行くのである。このようにスイスのフランス語圏、特に交通のアクセスのいいジュネーブはスイスと言う国家に帰属しながら、日々の生活はフランスに大きく依存しているのである。欧州でフランス語を公用語とする国は5か国、その中で複数の公用語が存在するのはスイスとベルギーだけあるが、このフランス語圏のフランスに対する依存はスイスの場合、ベルギーよりもはるかに大きいのはその歴史的な経緯、地理的な条件による部分が大きい。
これまでフランスとスイスは31回対戦しているが、フランス国内での対戦が14回、スイス国内での対戦が17回となる。スイス国内で試合が行われた都市がどの言語圏であるかを調べてみると興味深いことがわかる。17試合の開催都市の内訳はジュネーブ8試合、ローザンヌ5試合、バーゼル3試合、ベルン1試合である。ジュネーブとローザンヌはフランス語圏であり、4分の3の試合が人口比で2割にも満たないフランス語圏で行われている。また、ドイツ語圏のバーゼルもフランス、ドイツと接する国境の町。このようにほとんどの試合をフランス語圏あるいはフランスに近い都市で行っている。
スイスでのアウエーゲームの大部分をフランス語圏で戦ってきたフランスであるが、今までの戦績は決して芳しいものではないのである。(この項、続く)