第2202回 ガエル・カクタ、アミアンに移籍

 6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■15歳で注目を集めた日系三世のガエル・カクタ

 5月に終わったリーグ戦も8月初めには新たなシーズンが始まる。サッカー以外のスポーツではこの間、テニスのローラン・ギャロス、ウィンブルドン、ラグビーの南アフリカ遠征、モータースポーツのF1、そして自転車のツール・ド・フランスと例年通りたくさんのイベントが行われたが、サッカーの世界では選手の移籍が最大の話題であった。
 今回は日本の皆様にも縁のある選手の移籍について紹介しよう。それは日系三世のガエル・カクタである。カクタについては本連載で最初に紹介したのは今から10年前のこと、2007年の第704回のことである。当時15歳でRCランスの16歳以下のチームに所属していたカクタがイングランドのビッグクラブであるチェルシーへ移籍したことを紹介した。そのカクタがこのたび1部に昇格したアミアンに移籍することになった。

■出場機会に恵まれなかったチェルシー時代のカクタ

 今回はカクタの10年間の歩みについて紹介しよう。カクタはチェルシーでは最初は下部組織に所属したが、移籍して2年目の2009年初めにプロとして初めて試合に出場した。当時カクタは17歳、天才少年として注目を集めた。また同年9月には仙台カップ国際ユースサッカーに出場し、優秀選手に選出されたことは東日本大震災が起こった直後の本連載第1225回で紹介している。しかし2015年までの長期契約を結んだチェルシーではなかなか出場機会が与えられなかった。

■アンダーエイジのフランス代表からコンゴ民主共和国のフル代表に

 同時期に浮上した問題がカクタのフル代表での帰属である。フランスのアンダーエイジのチームにはコンスタントに選出され、アレクサンドル・ラカゼットやアントワン・グリエズマンとともに活躍した。2010年の19歳以下の欧州選手権で優勝し最優秀選手に選ばれたカクタはコンゴ民主共和国の代表からも声がかかる。当時のコンゴ民主共和国の監督はフランス人のクロード・ルロワ、フランス側への通知なしにコンゴ民主共和国代表のリストに入れたためにトラブルとなった。またコンゴ民主共和国の憲法では二重国籍は認めておらず、コンゴ民主共和国出身の両親の元にフランスで生まれたカクタはフランス国籍を有しており、コンゴ民主共和国の国籍を取得するためにはフランス国籍を放棄しなくてはならず、代表メンバー入りはならなかった。結局コンゴ民主共和国代表のデビューは今年の3月まで待たなくてはならなかった。

■チームを転々としたカクタ

 アンダーエイジの代表では活躍したが、所属チームではカクタはチームを転々とした。2011年の1月には同じイングランドのフラムにレンタル移籍され、さらにシーズン終了後にはボルトンへと同じくレンタルで移籍している。ボルトンには半年在籍し、2012年1月にはディジョンにレンタル移籍、ついにプロとしてフランスのチームと契約した。当時ディジョンは1部であったが下位低迷、カクタは移籍直後のフランスカップの試合で得点をあげ、コンスタントに試合に出場したが、リーグ残留の救世主とはなることができず、シーズン終了後はオランダのフィテッセにレンタル移籍する。日本のハーフナー・マイク、安田理大のチームメイトとなったことから、日本の皆様も多くの情報を得られたであろう。1年半所属したフィテッセでもコンスタントに試合に出場し、このレベルのクラブで試合経験を重ねていくことがカクタにとっても良い経験となったはずである。ところがイタリアのラツィオにレンタル移籍されるとまた出場機会がなくなり、2014年夏にはスペインのラジョ・バレカーノにレンタル移籍する。スペイン1部の下位チームでほぼ1年間試合に出場し、チェルシーとの契約の切れた2015年夏にはセビリアに移籍、ここではまた試合に出場できず、2016年夏には中国の河北華夏に移籍する。半年でスペインのデポルティーボ・ラコルーニャにレンタル移籍され、今年の夏を迎えた。
 そして、今季1部に昇格したアミアンに移籍し、プロとして11番目のチームに所属するのである。(この項、終わり)

このページのTOPへ