第2236回 大詰めを迎えたワールドカップ予選(4) 85年ぶりにブルガリアで勝利、単独首位をキープ
6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■ブルガリア代表の本拠地、バシル・レフスキ国立競技場
残り2試合となったワールドカップ予選、第9戦はアウエーでのブルガリア戦である。ブルガリアは今回の予選ではホームで4連勝、最終戦でフランスを迎える。フランスは1932年に初めてブルガリアと対戦した際に勝利した以降は、ブルガリア国内では1分6敗と一度も勝利していない。このブルガリアの本拠地はバシル・レフスキ国立競技場である。本連載の読者の皆様であればこの競技場の名前をご存じであろう。本連載第2086回で紹介した通り、2016-17シーズンのチャンピオンズリーグのグループリーグでパリサンジェルマンがルドゴレツ・ラズグラドと対戦した際に、ルドゴレツ・ラズグラドが本来の本拠地がUEFAの基準に達しないため、ブルガリア代表の本拠地であるバシル・レフスキ国立競技場を使用したのである。その際もワールドカップ予選でフランス代表が鬼門とするこの競技場に訪れることになるであろうと書いたが、大詰めの大一番となった。
■雨中の試合、ブレーズ・マツイディが3分に先制ゴール
さて、ブルガリアのソフィアは強い雨がフランスのイレブンを迎えた。予選で最後から2番目の試合で雨というと1994年大会のイスラエル戦を思い出す。フランスはその次のブルガリア戦同様、試合終了間際に勝ち越し点を奪われた。そのような苦い記憶を思い出したファンも少なくなかったであろう。雨の中で観客はわずか1万6000人であったが、良い芝の状態の中でキックオフされた。
ブルガリアのキックオフで始まった試合であるが、立ち上がりからフランスがボールを支配する。そしてルカ・ディーニュのクロスがゴール前に上がり、アレクサンドル・ラカゼット、アントワン・グリエズマンとつなぎ、最後は角度のないところからブレーズ・マツイディがシュートを決める。時間はまだ3分、今予選でフランスは16得点を記録したが、最も早い時間帯のゴールとなった。またフランスが3分に得点をあげたのは2014年10月のポルトガル戦のカリム・ベンゼマ以来のことである。
■ウーゴ・ロリスがピンチをしのぎ、フランスがブルガリアで85年ぶりに勝利
その後もフランスは試合を支配し、15分にはキリアン・ムバッペ、19分にはコランタン・トリッソ、29分にはラカゼットが好機をつかんだが、追加点はならなかった。ブルガリアの攻撃を封じ込んだが、アクシデントとしては34分にエンゴロ・カンテが負傷のためピッチを去り、アドリアン・ラビオが最初の交代選手としてピッチに入ってきた。一方のブルガリアは37分にゲオルギ・コスタディノフがゴール前でウーゴ・ロリスと1対1となる。この決定的なピンチをウーゴ・ロリスが防いだのである。なお、コスタディノフはフランス人にとっては忘れられない名字であるが、このゲオルギ・コスタディノフは1993年にフランスの新大陸入りを奪ったゴールを決めたエミール・コスタディノフとは縁戚関係はない。
後半に入って立ち上がりにブルガリアはフランスゴール前に攻め込むが、得点にはならない。勝ち点1の引き分けはこの日のフランスにとっては負けに等しいが、追いつかれる心配はない安定した試合で後半の45分間もコントロールする。
フランスは1-0と難敵を下し、実に85年ぶりにブルガリア国内で勝利する。これでスウェーデンを抜いて単独首位となった。
■史上最多勝をあげたディディエ・デシャン監督
ディディエ・デシャン監督は代表監督に2012年に就任して以来、この試合が42勝となった。これはミッシェル・イダルゴ(1976年から1984年)、レイモン・ドメネク(2004年から2010年)の41勝を抜く史上最多勝となったのである。
この試合の唯一の得点をあげたマツイディはパリサンジェルマンの選手であり、昨年のチャンピオンズリーグのルドゴレツ・ラズグラド戦でも得点をあげている。そしてパリサンジェルマンの前にフランスのクラブチームでこのバシル・レフスキ国立競技場で試合をしたのは1989-90シーズンのチャンピオンズカップ準々決勝のマルセイユまでさかのぼることになう。CSKAソフィアに1-0と勝利したが、その時のマルセイユの背番号7がデシャンだったのである。(この項、終わり)