第244回 4年ぶりに欧州チャンピオンズリーグに復帰したマルセイユ
■予備戦から参戦のマルセイユ
フランスで8月の初めに国内リーグが開幕してから2月、リーグ戦たけなわの10月を迎えた。そして欧州レベルで争われる欧州チャンピオンズリーグも夏の間に予備戦を行い、4チームずつ8つのグループに分かれたグループリーグが9月16日に始まり、各クラブの活動が本格化している。
近年、チャンピオンズリーグ、UEFAカップではこれといった成績を残していないフランス勢であるが、1990年代の活躍を考えれば、そろそろ上位に進出しないと存在自体が忘れられてしまう。
フランスからは2002-03シーズンのリーグ戦で優勝したリヨン、2位のモナコの2チームがグループリーグから参戦し、3位のマルセイユが予備戦から出場することになった。リヨンとモナコについては近年のリーグ戦では常に上位にあり、予備戦から出場するマルセイユも今季の積極補強が注目され、リーグの優勝候補筆頭であり、実力派の3チームが欧州の舞台に立つことになった。
■ウィーンでの初戦に勝利、ホームでは手堅くスコアレスドロー
地元ファンの期待も高まるマルセイユは予備戦3回戦から参戦した。勝てば本戦出場となる3回戦の相手はオーストリアのオーストリア・ウィーンである。10年ぶりにリーグ戦を制し、カップ戦も獲得したオーストリアの名門のホームゲームでマルセイユの欧州挑戦は始まった。真夏の試合というのに3万近い観衆を集めたことはウィーンのファンが古豪の復活に寄せる思いの強さを感じる。しかし、ウィーンのファンの期待はキックオフ早々に崩れる。開始5分にゴールネットを揺らしたのは19歳のドミトリー・シチェフであった。日本の皆様ならば、昨年のワールドカップで日本とロシアとの対戦で後半から横浜国際競技場に姿を現した若武者の姿をご記憶であろう。シチェフは昨年暮れにスパルターク・モスクワからマルセイユに移籍し、マルセイユの攻撃陣を支えている。そのシチェフのゴールを守り切ってマルセイユがアウエーでの第1戦を最少得点差で制す。
8月27日に行われた第2戦の舞台はもちろんマルセイユのベロドローム。ウィーンでの試合をはるかに上回る5万2000人の観衆がつめかけた。引き分け以上で本戦出場の決まるマルセイユは大観衆の声援に舞い上がることなく、冷静な試合運びを行い、台本どおりのスコアレスドロー。4年ぶりのチャンピオンズリーグ出場にマルセイユの街は歓喜したのである。
■王者レアル・マドリッドに先制するも逆転負け
8月28日には早速本戦のグループリーグの組分け抽選が行われ、マルセイユはレアル・マドリッド、FCポルト、パルチザン・ベオグラードと同じグループFに入った。マルセイユ以外の3チームは全て訪日経験があり、チャンピオンズリーグを制覇しインターコンチネンタルカップのために日本を再度訪問することを願っているが、その願いは訪日経験のないマルセイユも同様であろう。
マルセイユのグループリーグでの最初の試合は9月16日のレアル・マドリッドとサンチャゴ・ベルナベウでの対戦。最大の壁とのアウエーゲームである。マルセイユの生んだ偉大なサッカー選手ジネディーヌ・ジダンにとってはマルセイユとの対戦は特別な感情抜きには語れないであろう。この試合、26分の先制点はマルセイユのディディエ・ドログバ、コートジボワール代表の一撃が番狂わせを予感させる。しかし、その3分後にロベルト・カルロスが同点ゴール。そこから地力を発揮したレアル・マドリッドは3点を連取し、マルセイユの反撃を終了間際のダニエル・バン・ビュイテンのヘディングシュート1点におさえ、4-2と勝利をあげ、マルセイユのジャイアントキリングはならなかった。
■ディディエ・ドログバのハットトリックで初勝利
マルセイユの第2戦は10月1日にホームのベロドロームでパルチザン・ベオグラードとの対戦となる。ベオグラードのチームには苦い思い出がある。1991年5月29日のチャンピオンズカップ決勝。イタリアのバリで行われたこの試合でマルセイユはレッドスター・ベオグラードを一方的に押し込みながら、延長に入っても得点を奪うことができず、PK戦で敗れている。この日もまたマルセイユは一方的に押し込みながら12年前の悪夢を思い起こさせるように得点シーンは生まれない。前半のロスタイムにはパルチザン・ベオグラードのFWの選手が2回目の警告で退場となり、数的優位にたってもこの状況は変わらない。
しかし、62分のドログバの先制点が悪夢を忘れさせた。ドログバは68分と85分にもゴールを上げて、ハットトリック達成。思い起こせば1993年5月26日のチャンピオンズカップ決勝で唯一のゴールを決めたバジル・ボリもコートジボワール出身であった。この勝利で名門マルセイユが欧州の頂点への階段を踏み出したのである。(この項、終わり)