第2265回 ベルギーに競り勝ち、16年ぶりのデビスカップ優勝 (10) ニコラ・プイユが最終戦で完勝、フランス優勝

 6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■最終戦でポール・アンリ・マチューが敗れた2001年のロシアとの決勝

 前々回と前回の本連載ではデビスカップ決勝の最終戦で勝利を飾って優勝を果たしたアンリ・コシェ、アルノー・ブッチ、ニコラ・エスクーデについて紹介してきたが、フランスがエスクーデの活躍で優勝した2001年大会の次に決勝進出した2002年、そして2010年も最終戦で優勝が争わることになった。
 2002年の大会ではパリのベルシーでロシアと対戦、フランスは1回戦からほぼ前年と同じ陣容で臨んだが、決勝だけはアルノー・クレマンを欠き、代わりにポール・アンリ・マチューが起用される。シングルスはフランスはマチューとセバスチャン・グロスジャンに対し、ロシアはマラト・サファンとエフゲニー・カフェルニコフ、初日はサファンとグロスジャンが勝利し、1勝1敗。2日目のダブルスではロシアはサファンとカフェルニコフがペアを組むが、フランスのファブリス・サントロとエスクーデのペアがフルセットの末、背水の陣を敷いたロシアを下して王手をかける。最終日は第4ラバーのエース対決でサファンがグロスジャンにストレート勝ち、最終戦にすべてがかかった。この最終戦に出場したのはフランスはマチュー、ロシアは連戦のカフェルニコフを回避し、ミハイル・ユージニーを起用する。マチューが最初の2セットを奪うが、準決勝まで勝敗のかかった試合には一切出場していなかったユージニーが3セット連取して大逆転勝ち、ロシアは初優勝を果たした。

■ミカエル・ロドラが最終戦で敗れた2010年のセルビア戦

 また、ノバック・ジョコビッチの大会として記憶される2010年大会もフランスは決勝戦の最終戦で涙をのんだ。セルビアのエースであるジョコビッチは準決勝までにシングルス5試合に出場し全勝、決勝戦でも初日の第2試合でジル・シモン、最終日の第1試合でガエル・モンフィスにそれぞれストレート勝ちしている。しかし、決勝の残りの試合は初日のシングルス第2試合でモンフィスがヤンコ・ティプサレビッチにストレート勝ち、そしてダブルスではミカエル・ロドラとアルノー・クレマンのペアが2セットを先取されながら、3セットを連取し、4時間34分の死闘を大逆転勝ちしている。ジョコビッチの出場しなかった試合はほとんど勝てないセルビアが最終戦を託したのはビクトル・トロイキであった。一方のフランスは前日のダブルスで好調だったロドラを起用する。試合はトロイキの一方的なペースでストレートで勝利を収め、マチューに続き、ロドラも最終戦でヒーローになり損ねたのである。

■デビスカップ、最終戦に強いベテランのスティーブ・ダルシス

 それから7年、フランスはデビスカップの最終戦を迎えた。ベルギーはベテランのスティーブ・ダルシスを起用する。フランスはベテランのガスケという声もあったが、予定通りルカ・プイユがコートに立つ。世界ランキングの自己最高位は13位、この時点で18位というプイユであるが、金曜日のシングルスでも敗れており、現在2連敗中である。またご当地であるにもかかわらず、リールでのデビスカップ、未勝利である。一方のダルシス、5セットマッチの試合に強いことは紹介したが、さらに最終の第5ラバーでは強く、2009年以来、最終戦は5連勝している。

■ようやく本領を発揮したニコラ・プイユ

 このように世界ランキングとは裏腹な両者のバックグラウンドであるが、圧倒的な声援がフランスの若者を後押しした。プイユのサービスゲームで始まったこの試合、最初のゲームをプイユはキープ、これでプイユは落ち着いた。続く第2ゲームでプイユはブレークを果たす。このブレークが決め手となり、第1セットをプイユは6-3と先取する。 第2セットの第3ゲームをプイユがブレーク、さらに第5ゲーム、第7ゲームもブレークし、プイユは6-1と第2セットも奪う。第3セットも第2ゲーム、第4ゲーム、第6ゲームとプイユがブレークし、6-0とダルシスを一蹴し、ストレート勝ちする。
 フランスは16年ぶり10度目のデビスカップ優勝を果たしたのである。(この項、終わり)

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