第2312回 コロンビア、ロシアと連戦(6) CFキリアン・ムバッペの活躍でロシアに勝利
7年前の東日本大震災、一昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■革命前はロシアの首都であったサンクトペテルブルク
平均年齢24.5歳と若い先発メンバーで臨むロシア戦はサンクトペテルブルクで行われる。旧ソ連時代も含めて、フランスがモスクワ以外のロシアの都市で試合を行ったことはない。ロシア帝国時代はモスクワを差し置いて首都であり、ロシア革命の二月革命、十月革命の中心地となって、ソビエト政権が樹立しソビエト連邦が誕生する。その際に国境から近いサンクトペテルブルクに代わり、より国境から遠い約600キロ離れた副都モスクワへと移転し、ソビエト連邦が成立したのである。ソ連時代は革命家のレーニンの名を取りレニングラードとしてソ連第二の都市となったのである。ソ連崩壊後は都市名をサンクトペテルブルクに戻し、2006年に先進国首脳会議を開催したことは記憶に新しい。
■黒川紀章の遺作となったクレトフスキー競技場
初めてフランス代表を迎えるのがクレトフスキー競技場である。この競技場は宇宙船を模した姿であり、設計は日本の黒川紀章である。当初は2008年に完成予定であったが、昨年のコンフェデレーションズカップの前にようやく完成し、強豪のゼニト・サンクトペテルブルクの本拠地である。豊田スタジアムも設計した黒川は完成を待たずして逝去し、黒川の遺作となった。
昨年のコンフェデレーションズカップで開催国のロシアはグループリーグで1勝2敗に終わり、決勝トーナメントに進出することができず、地元ファンの期待を裏切ったが、唯一の勝利をあげたのがこのクレトフスキー競技場でのニュージーランド戦であった。4日前にはブラジルに敗れており、フランス相手に連敗は避けたいところである。
■ポール・ポグバ、先制点をアシストし、追加点を決める
氷点下の中、ロシアのキックオフで始まった試合、最初の15分間はロシアが優勢に試合を進める。20分を過ぎたあたりからフランスも攻撃のチャンスをつかみ始める。そして待望の先制点がフランスに生まれた。40分に左サイドからのポール・ポグバのクロスをキリアン・ムバッペが受ける。ムバッペがロシアの守備陣を交わしてシュート、これが先制点となり、フランスが1点リードして前半を折り返す。
後半に入ったところでロシアは選手を2人交代させたが、フランスのディディエ・デシャン監督は動かない。そして49分、フランスはFKのチャンスをつかむ。ゴールから約25メートルのFK、ポグバのキックはロシアの壁のやや上を通り、そのままゴールに吸い込まれる。1年半ぶりのアシストを決めたポグバはやはり欠かせない選手である。
■キリアン・ムバッペの2ゴール目が試合を決める
2-0とリードしたところでファンの脳裏を横切ったのはコロンビア戦の記憶である。このロシア戦のチェックポイントの1つとしてストッパー陣がある。ラファエル・バランとサミュエル・ウムティティという24歳コンビはコロンビア戦で3点を失った。バランに代えて32歳のベテランのローラン・コシエルニーを起用した。しかし、2試合連続で出場しているウムティティがロシアのロングフィードのボールの処理を誤り、ロシアの主将でCFのフョードル・スモロフが1点を返す。
フランスは試合終盤の83分に途中出場のブレーズ・マツイディがムバッペにパス、ムバッペはロシアの守備陣をかわしてシュートし、3点目が決まる。
フランスは3-1で勝利したが、メンバー選考としては明暗が分かれた。まずCFとして起用されたムバッペは見事に2得点をあげた。所属チームのパリサンジェルマンではCFとして試合に出場することが少ないながらも、非凡なところを見せた。また1ゴール1アシストのポグバの活躍も収穫である。そしてキャリアの少ない両サイドDFのルカ・エルナンデス、バンジャマン・パバールはバックアップとしては及第点である。
他方、ウムティティだけではなく、ウスマン・ダンベレ、アントニー・マルシャルという両翼の選手については軽いプレーが目立ち、デシャン監督も満足していないであろう。
さて、5月15日のメンバー発表で誰の名前が読み上げられるのであろうか。(この項、終わり)