第9回 フランス、アルジェリアと初対戦(5) サッカーにおけるアルジェリアとフランスの関係

■アルジェリアの第二の宗教:サッカー

 「アルジェリアにおいてサッカーは第二の宗教である」と言われるとおり、アルジェリアではサッカーが盛んである。これは地中海沿岸のアフリカ諸国と比較してみるとわかる。チュニジア、モロッコ、エジプトの登録クラブ数は300前後、それに比べてアルジェリアの登録クラブ数は3600であり、アルジェリアにおけるサッカー熱がよくおわかりであろう。
 第5回の連載ではフランスとアルジェリアが特別な関係にあることをご紹介したが、やはり宗主国と植民地であったことは否定できない。最盛時には100万人以上のフランス人がアルジェリアに住んでいたが、現在ではわずか200人しか住んでいない。しかし、町中で使われる言葉はフランス語であり、地理的に近いこともあり、フランスの影響は払拭できない。この点がフランス色が消え去ったインドシナのケースとは異なるであろう。

■フランスで活躍したアルジェリア人選手

 このようにサッカーが盛んであり、フランスとの関係もあるアルジェリアからフランスに渡って活躍するアルジェリア人選手は枚挙にいとまがない。第6回の連載でご紹介したアルジェリア民族解放戦線の選手連行事件はあったものの、1962年の独立後もアルジェリア人選手がフランスリーグで活躍している。
 パリサンジェルマンの黎明期に無敵のドリブラーとして恐れられたムスタファ・ダレブは在籍10年間で85得点、パリサンジェルマンの歴代得点王であり、パルク・デ・プランスの王様という称号を与えられている。またノレディン・クリーシもバランシエンヌ、ボルドー、リールで活躍している。ミュールーズとパリサンジェルマンでマジック・レフティと言われたサラ・アサッド、そして前回の連載で紹介した現在の代表監督のラバ・マジェールも1983年から2シーズン、ラシン・パリに所属している。
 最近ではオセールのMFとして毎年のように欧州カップの上位に食い込み、1996年にはリーグとカップの二冠を獲得したムッサ・サイーブ、モナコ、ボルドー、パリサンジェルマンに所属し、1999年にリーグ最優秀選手に選出されたアリ・ベナルビア、1998年に初の1部昇格を果たしたロリアンの中心選手であったアリ・ブアフィアの活躍を忘れることはできない。今シーズンも11人のアルジェリア人選手が1部リーグに所属している。また、2部リーグには12人が所属している。

■アルジェリア系のフランス人選手

 アルジェリア系のフランス人選手というとジネディーヌ・ジダンがあまりにも有名であるが、現在、アルジェリア系の選手はアルジェリアのユニフォームを選択する傾向が強い。
 遠く第二次世界大戦前にさかのぼれば、フランス代表選手の多くは北アフリカ系であり、イタリア系の移民が主力であった。1930年代にプロリーグが始まってから南仏のチームを中心に多くの北アフリカ系選手をリクルートしたのである。第二次世界大戦後はここに東欧系が加わる。そして1958年の主力選手連行事件、1962年のアルジェリア独立が起こる。しかし、ラシッド・メクルーフィのようにアルジェリアからフランスに戻ってくる選手も少なくなかった。1970年代にも現在のジダンのようにオマール・サヌーン、ファレス・ブスディラというアルジェリア系の選手がフランス代表に入っていた。

■フランス生まれのアルジェリア人選手

 最近のアルジェリア系の選手がアルジェリアのユニフォームを選ぶ契機となったのは1970年代以降アルジェリアが力をつけ、ワールドカップが現実のものとなってきたことである。フランス代表でなくともアルジェリア代表としてワールドカップに出場できるようになった、ということが彼らの民族意識を呼び覚ましたのであろう。好例がパルク・デ・プランスの王様ことダレブである。1952年生まれのダレブは17才以下のフランスジュニア代表に選ばれているが、18才になった段階でアルジェリアを選択し、その後アルジェリア代表に選ばれている。現在アルジェリア代表となっているモハメッド・ブラジャ、ジャメル・ベルマディはフランス生まれであり、フランス国内のサッカー教育を受けて育ってきているフランス生まれのフランス育ちのアルジェリア人選手である。
 彼らフランス生まれのフランス育ちのアルジェリア人選手は生まれ育った国を相手に戦うことになるのである。(続く)

このページのTOPへ