第2449回 フランスカップベスト16決定戦(1) ナントから移籍のエミリアーノ・サラ、飛行機事故

 8年前の東日本大震災、3年前の平成28年熊本地震、昨年の平成30年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■ナントからカーディフに移籍するエミリアーノ・サラの飛行機が消息不明に

 フランスカップで1部勢にとって初戦となるベスト32決定戦は本連載第2443回と第2444回で紹介したが、下位のリーグのチームに5チームが敗れるという波乱の幕開けとなった。
 ベスト16決定戦は1月22日の火曜日から24日の木曜日にかけて行われる予定であるが、予期せぬ事故が起こった。それはナントからウェールズのカーディフに移籍するエミリアーノ・サラが搭乗した小型飛行機がカーディフに向かう途中で行方不明となったのである。サラのナントからプレミアリーグに所属するカーディフへの移籍が決まったのが1月19日の土曜日、サラはこの日カーディフでメディカルチェックと契約をしている。その後、ナントにチームメイトに挨拶をするのと私物を取りに帰るためにいったん戻り、21日の夜にサラが再びナントからカーディフに向かう途中で消息不明となった。

■大規模な捜索もむなしく、生存は絶望的に

 パイロットは59歳のベテラン操縦士であり、19日に契約のためにカーディフに向かう際も同じ飛行機を使用していた。ナントを出発したのが20時30分、カーディフとはわずか277キロの距離である。しかし21時23分に飛行機は管制塔のレーダーから消える。英王室属領のチャンネル諸島のガーンジー島付近で消息不明となり、22時ごろから捜索が始まるが、夜間であるため、日の変わった22日は朝から英国の警察によって大規模な捜索が行われたが、手掛かりをつかむことはできず、24日に捜索は終了、サラの生存は絶望的なものとなった。

■フランスのクラブで活躍したアルゼンチン人のサラ、ナントで開花

 サラはイタリア系のアルゼンチン人であり、アルゼンチンのサンタフェで生まれている。しかし、少年時代に所属したクラブがボルドーの育成機関の傘下となったことから20歳の時にボルドーの下部チームに登録したのである。ボルドーとプロ契約したが、出場機会を求めて、レンタル移籍し、ナショナルリーグに所属していたオルレアン、2部のニオールでそれぞれ1シーズンずつプレーし、ほぼ全試合に出場し、2試合に1点という高い得点力を示した。当時のボルドーのビリー・サニョル監督はボルドーに戻したが、同じポジションに競合する選手がいたため、再びカーンにレンタルされた。
 良いめぐりあわせではなかったサラにチャンスを与えたのがナントであった。2015年の夏にサラはボルドーからナントに移籍する。移籍した最初のシーズンでサラは6得点をマークし、チームの得点王となる。2シーズン目は15点、3シーズン目も12点とナントの得点源となった。

■キャリア最高の成績を残してカーディフへの移籍に待っていた悲報

 そして4シーズン目の今季は選手として最高の成績を残し、プレミアリーグに挑戦するはずであった。移籍する時点での得点は12点、これはリーグの得点ランキングではパリサンジェルマンのキリアン・ムバッペの17得点、エディンソン・カバーニの16点、ネイマールの13点、リールのニコラ・ペペの13点に次いで5位である。そしてこの12点というのは欧州の主要リーグに所属するアルゼンチン人選手の中では、スペインのバルセロナのリオネル・メッシに次ぐ成績である。メッシは18点、そして3位はイングランドのマンチェスター・シティ所属のセルヒオ・アグエロの10点である。これ以外にゴンサロ・イグアイン、アンヘル・ディマリアという選手がいる中で堂々の成績であり、カーディフがクラブ史上最高の金額で獲得したのもうなずける。
 バヒッド・ハリルホジッチ監督率いるナントはこの時期にサラ以外にカラ・エンボジがベルギーのアンデルレヒト(ベルギー)、マット・ミアズガがチェルシー(イングランド)にそれぞれ戻り、大きく戦力ダウンしたが、サラが消息を絶ったことは、選手、スタッフ、ファンに大きな衝撃を与えた。ナントのチームカラーである黄色の花を持って献花するファンの列は絶えない。
 そしてナントは23日に行われるフランスカップのアンタントSSG戦、26日のリーグ戦のサンテチエンヌ戦を延期することになったのである。(続く)

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