第2611回 新春を飾るフランスカップ(3) パリ近郊のリナス・モンレリー、パリサンジェルマンに挑戦

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■パリ近郊にある地域1部リーグのリナス・モンレリー

 前回の本連載では現在のフランス代表のディディエ・デシャンがアマチュア時代に所属したアビロン・バイヨンヌとプロデビューをしたナントが対戦したことを紹介した。1部のナントが5部リーグに相当するナショナル3部のアビロン・バイヨンヌに2-0と順当勝ちした。
 アビロン・バイヨンヌに続き、下位のリーグに所属しながら大物選手を輩出したチームがベスト32決定戦に残っている。それが6部リーグに相当する地域1部リーグのリナス・モンレリーである。人口9000人のリナスも7500人のモンレリーもパリ近郊のエッソンヌ県の自治体である。2つの町は隣接しており、2つの町に1つのサッカークラブがある。エッソンヌ県は茨城県と姉妹県であることから日本の皆様もなじみがあるであろう。鹿島アントラーズ、水戸ホーリーホックという2つのプロサッカークラブを有する茨城県同様エッソンヌ県もサッカーが盛んである。このパリ近郊の小クラブはフランス代表選手が2人も輩出している。

■ポール・ジョルジュ・ヌテップとタンギ・エンドンベレ

 まず1992年生まれのポール・ジョルジュ・ヌテップ、15歳の時にこのクラブに所属し、その後オセールでプロにデビューし、現在はトルコのカイセルスポルに所属している。2015年にはフランス代表に選出され、デビューしたベルギー戦では敗れはしたものの、アシストを決めている。その後、2018年には国籍を出生地のカメルーンに変更し、カメルーン代表に選出され、試合に出場している。
 もう1人は1997年生まれのタンギ・エンドンベレである。エッソンヌ県のロンジュモーの出身であり、12歳の時にこのクラブに入っている。エンドンベレは両親がコンゴ民主共和国出身であり、コンゴ民主共和国からも代表入りの打診はあったが、2017年にフランス代表を選ぶ。当時所属していたリヨンでの活躍が認められ、今季はイングランドのトットナム・ホットスパーへ移籍し、主力として活躍している。またエンドンベレのトットナムへの移籍の際は、莫大な移籍金の一部の30万ユーロが、年間予算22万5000ユーロのリナス・モンレリーの収入となっている。

■ほとんどはパリサンジェルマンのファンでもあるリナス・モンレリーのファン

 パリ近郊にあることから、このクラブは12歳だったキリアン・ムバッペが所属していたチームとも対戦している。そしてこのクラブの選手たちのあこがれはパリのビッグクラブ、パリサンジェルマンである。そのようなパリ近郊の小クラブがフランスカップで勝ち抜いて年を越し、対戦するのがパリサンジェルマンという夢のようなお年玉となった。
 パルク・デ・プランスで試合を行うことも想定されたが、パルク・デ・プランスの隣のジャン・ブーアン競技場でラグビーのフランスリーグのビッグゲームのスタッド・フランセとトゥールーズの試合が行われるため、会場をボンドウフルのロベール・ボダン競技場に移す。この競技場は1994年に行われたフランス語圏スポーツ大会のために建造された陸上トラック付きのスタジアムで1万5000人を収容する。チケットは10ユーロと20ユーロの2種類で瞬く間に完売する。

■過密日程を迎えるパリサンジェルマン、終盤にゴールラッシュ

 パリサンジェルマンは、通常の国内リーグ戦に加え、フランスカップ、リーグカップ、さらにチャンピオンズリーグも戦う。最初の大きな関門であるチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦の第1戦、ボルシア・ドルトムント(ドイツ)戦は2月18に行われるが、それまでの1月半で最大13試合を戦うことになる。
 パリサンジェルマンは控え選手を中心に臨むが、30分まで得点を奪うことができなかった。そればかりか39分にはPKを与え、控えのGKのセルジオ・リコがストップし、危うく同点を逃れる。41分にスペインのアトレチコ・マドリッドへの移籍が噂されるエディンソン・カバーニが追加点をあげる。後半に入って60分にカバーニが3点目をあげると、パブロ・サラビアが2点、エリック・シュポ・モティンが1点とゴールをラッシュし、最終スコアは6-0となる。敗れたリナス・モンレリーのファンも地元のビッグクラブとの試合は最高の思い出となったのである。(続く)

このページのTOPへ