第356回 フランス代表監督の交代(3) 再生にかけるレイモン・ドメネク新監督

■フランス代表の再生の切り札

 多くの候補者がいる中で、決定直前に候補となり、有力候補のジャン・ティガナ、ローラン・ブランを退けて新監督に就任したレイモン・ドメネクには早くも大きな期待が寄せられている。1998年ワールドカップ、2000年欧州選手権の連覇によりスターダムへと上り詰めた選手たちが2002年ワールドカップでまさかのグループリーグ敗退、そして雪辱を期した2004年欧州選手権でも優勝した伏兵ギリシャに足元をすくわれ、準々決勝で敗退してしまっている。主力選手の多くは国外のビッグクラブに所属し、国内のクラブに所属する若手の選手はほとんどベンチを暖めていた。このような選手の年齢別、所属クラブの国内別の断層を解消することが必要であり、それがフランス代表の再構築であろう。
 ジャック・サンティーニ監督は前任のロジェ・ルメール監督とは異なり、若手の選手を代表には招集し、比較的相手に恵まれた欧州選手権予選や親善試合では起用したものの、彼らをポルトガルの戦いで前線に派遣するには及ばなかった。ポルトガルでは国外のビッグクラブに所属するスター選手をずらりと並べたものの、準々決勝でギリシャの気迫に屈した形となり、再生の必要に迫られ、その切り札が新監督である。

■代表チームを軽視するようになった最近のサッカー選手

 第二次世界大戦後にプロ化の進んだ各種競技において「代表チームよりは所属しているクラブや個人の成績を重視する」という考え方は西欧全般に広がっていたが、フランスだけは個人の利得よりも、国家代表のプライドを優先する、という国家主義的な考え方がまだ根強く続いていた。これはサッカーの例をとれば、代表チームがワールドカップ、欧州選手権、オリンピックという国際大会で頂点に立っているのに対し、クラブチームでは年に2回(かつては3回)獲得するチャンスのある欧州カップでいまだに1回しかフランス勢が頂点に立ったことが無い。そして顕著なのは個人競技であるテニスである。個人の4大大会タイトルはオープン後、ヤニック・ノアが1983年の全仏オープンで優勝しただけであるのに対し、同期間のデビスカップではフランスは3回も優勝している。このようにフランスの伝統である個人よりもナショナルチームという美風が消えてしまったのが2002年以降のサッカーのフランス代表である。

■11年前、南仏でスタートしたドメネクのエスポワール

 そのフランス代表の再生にかけるフランス・サッカー界が選出したドメネク新監督の強みは11年にわたる「エスポワール」と呼ばれる23歳以下フランス代表監督経験である。1993年にドメネクはこのポストについたが、ドメネクにとって最初の国際大会は南仏で行われた地中海大会(地中海沿岸の欧州、アフリカの諸国が参加し、複数の競技が行われる)であった。サッカーはフル代表ではなくアンダーエイジの21歳以下のチームを派遣し、トルコに準決勝で敗れたが、このフランスのチームには翌年にフル代表にデビューすることになるジネディーヌ・ジダンをはじめ、ワールドカップ、欧州選手権で活躍することになるリリアン・テュラム、クリストフ・デュガリー、クロード・マケレレなども所属していた。
 それ以降、ドメネクは11年間にわたるエスポワール監督という立場で、多くのフル代表選手の代表入り直前の姿を見てきたのである。そして今回のポルトガルでの欧州選手権に臨んだ23人の選手のうち、ドメネクがエスポワールの監督として指揮したことが無いのは1993年の段階ですでにフル代表入りしていたマルセル・デサイー、ビシャンテ・リザラズ、翌年にフル代表することになるファビアン・バルテス、エスポワールでの経験がなくフル代表に入ったスティーブ・マルレ、ジェローム・ロタンの5人だけであり、残りの18人はすでに「ドメネク監督」を知っているのである。デサイー、リザラズ、バルテスを除くと9割がドメネクのエスポワール出身であることを考えると、今後のフランス代表の9割以上はアンダーエイジからドメネクの指導を受けていることになると考えられる。

■注目を集めるベテラン選手の去就と若手選手の起用

 欧州選手権敗退を受けて、ベテラン選手の去就と若手選手の抜擢が予想される。フランスの至宝ジダンを発掘したドメネク新監督はどうやら11年ぶりにジダンを指揮することはなさそうである。また、デサイー、リザラズ、バルテスもドメネク監督の指揮下でブルーノユニフォームを着ることはなさそうである。レンヌでのデビュー戦まであと1月、どのような選手を起用するのか楽しみである。(終わり)

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