第2718回 パリサンジェルマン、 準優勝に終わる(2) 最初の対戦はパリサンジェルマンが連勝

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■これまで4回、8試合対戦したパリサンジェルマンとバイエルン・ミュンヘン

 前回の本連載は今季のチャンピオンズリーグにおけるバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)の強さを紹介したが、肝心のパリサンジェルマンとの戦いの歴史をひも解こう。
 リヨンの過去の欧州での戦いを紹介したが、パリサンジェルマンもリヨンと似ており、これまでに欧州カップで最も多く対戦しているのはバルセロナ(スペイン)であり、6回顔を合わせ、11試合(1試合はカップウィナーズカップの決勝)対戦している。2番目に多いのもスペイン勢であり、レアル・マドリッドとは5回、10試合である。それに続く3番目が4回、8試合対戦しているバイエルン・ミュンヘンとチェルシー(イングランド)とユベントス(イタリア)である。
 バイエルン・ミュンヘンとの過去の対戦はいずれもチャンピオンズリーグでの対戦となる。

■初めてチャンピオンズリーグのリーグ戦に出場した両チーム

 初めての対戦は1994-95シーズンのことである。その前のシーズンで2回目のリーグチャンピオンとなり、前身のチャンピオンズカップと通算して8年ぶり2回目のチャンピオンズリーグ出場となった。パリサンジェルマンは最初のチャンピオンズカップでは初戦で敗退(当時はノックアウト制)している。
 このシーズンはUEFAインデックスの8チームのみが本選からの出場、パリサンジェルマンを含むその他のチームはプレーオフからの参戦となった。プレーオフでハンガリーのバーツと対戦し、ホーム、アウエーとも連勝して16チームからなる本選に出場した。
 4チームずつ4つのグループでリーグ戦を行ったが、パリサンジェルマンはここでバイエルン・ミュンヘンと同じグループBに入る。チャンピオンズリーグがリーグ戦を導入したのは1992-93シーズンからであり、パリサンジェルマンは初めてチャンピオンズリーグのリーグ戦を戦うことになったのであるが、バイエルン・ミュンヘンも同様にチャンピオンズリーグのリーグ戦に初参戦であった。バイエルン・ミュンヘンも前年のブンデスリーガで優勝しているが、3年ぶりの優勝であり、この間、カイザースラウテルン、シュツットガルト、ブレーメンというチームがドイツの王者となっていたのである。バイエルン・ミュンヘンが50年以上続くブンデスリーガで3年以上王者になることができなかったのは創成期と、1970年代のボルシア・メンへングランドバッハ、1980年代のハンブルガーSVの黄金時代と、この1990年代初めの戦国期だけである。

■記念すべき第1節での対戦はパリサンジェルマンの勝利

 このチャンピオンズリーグは前身のチャンピオンズカップから数えて40回目の記念大会となった。それだけの歴史を重ねて両チームは初対決となる。グループリーグの初戦、9月14日にパルク・デ・プランスで対戦する。両チームにとって初めてのチャンピオンズリーグのリーグ戦、前半のジョージ・ウェア、後半のダニエル・ブラボーのゴールでパリサンジェルマンが2-0と歴史的な初対決で勝利したのである。
 この後、パリサンジェルマンはスパルターク・モスクワ(ロシア)に勝利、ディナモ・キエフ(ウクライナ)連勝し、開幕4連勝を飾り、勝ち点を8(当時は勝利の勝ち点は2)とした。第5節でミュンヘンにパリサンジェルマンを迎えるバイエルン・ミュンヘンは1勝2分1敗で勝ち点4、旧ロシア勢はいずれも勝ち点2にとどまっており、パリサンジェルマンはこの時点で決勝トーナメント進出を決めていた。

■ジャン・ピエール・パパンを先発させたバイエルン・ミュンヘンにアウエーでも勝利

 ミュンヘンでの試合、バイエルン・ミュンヘンはパリでの試合には出場しなかったジャン・ピエール・パパンに背番号9をつけて先発させる(当時のチャンピオンズリーグでは先発メンバーは1番から11番を着用していた)。マルセイユで欧州チャンピオンになれず、移籍したイタリアのACミランでは古巣のマルセイユに決勝で敗れたパパンはパリサンジェルマンとの対戦に心期すものがあったはずである。しかし、ゴールをあげることができないまま、69分に交代する。
 試合は途中出場したウェアが80分に決勝点をあげ、1-0と勝利、パリサンジェルマンは最終戦のスパルターク・モスクワ戦も勝利して6戦全勝、決勝トーナメントでは準決勝まで進んだのである。(続く)

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