第365回 ワールドカップ予選初戦のメンバー(1) 大幅な選手入れ替えと募る不安
■初の代表戦開催となるレンヌで目立つ空席
レイモン・ドメネク新監督の初陣となるボスニア・ヘルツェゴビナ戦は1-1のドローであったが、この試合は大きな波紋を巻き起こした。もちろん、1996年欧州選手権から国際舞台に立ち、1998年ワールドカップ優勝、2000年欧州選手権優勝という栄光と、2002年ワールドカップ敗退、2004年欧州選手権敗退という屈辱を経験してきた主力の4選手が引退し、大量7人の代表初選出という中で試合当日を迎えた。フランス代表の100年の歴史でブルターニュ地方の中心都市レンヌでこれが初めての試合である。ルート・ド・ロリアン競技場は収容人員3万1000人であるが、前売りの販売は低調で、当日券を準備してもチケットは1000枚しかさばけず、結局観衆は2万6000人にとどまった。レンヌの経済を支えているのは大規模な工場と研究所を有する日本企業であり、この企業はかつてサッカーを支援してきた。しかし、その頼みの日本企業がサッカーに関心を失ってしまった今、他にチケットを買い支えてくれる企業も地元になく、大量の空席が目立つ中でのキックオフとなった。
■過去に例のない選手の若返り
これは単純にスター選手がいなくなったからだけではなく、これまでのフランス代表と新生フランス代表の間に大きな断層が存在するからであろう。欧州選手権の最後の試合となったギリシャ戦に出場した選手の平均年齢は30歳1か月、おそらくフランス代表の歴史の中でも最年長に近く、さらに平均代表出場歴は60を数え、これまた最も代表経験の多い選手たちによるチーム編成であったであろう。そのように熟しすぎたメンバーがグループリーグでは試合内容が伴わないながらも勝利を重ね、決勝トーナメントではギリシャの勢いの前に屈したのである。そして今回のボスニア・ヘルツェゴビナ戦には代表初選出の選手が5人出場し、メンバーの平均年齢は25歳3か月と5歳近く若返っており、メンバーの平均代表出場歴はわずか16とギリシャ戦メンバーの4分の1である。
監督の交代を新チーム結成と捉えるならば、過去これほどまでに旧チームと新チームの平均年齢、代表歴の差が存在したことはない。前任のジャック・サンティーニ監督の就任時にも思い切った選手起用が話題になったが、平均年齢は2歳若返り、平均代表歴は31減っており、それ以上の変化である。サンティーニ監督はフランスリーグで活躍している選手を登用したが、ドメネク監督は国内リーグでもあまり実績のない選手を登用しており、ファンにとってなじみの薄い選手が名を連ねている。この大きすぎる断層と実績の少ない選手の選出はファンの関心を下げることになってしまった。
■余裕を持って5人が代表デビューした2001年の豪州戦
また、ワールドカップ予選開幕を目前に控えた段階での大幅な選手入れ替えに疑問を持つ意見も少なくない。
ボスニア・ヘルツェゴビナ戦には代表初選出の選手が7人招集され、そのうち5人が試合に出場した。代表デビューが5人というのは3年前に日本と韓国で行われたコンフェデレーションズカップのグループリーグ第2戦の豪州戦以来のことである。もっともこの豪州戦は各国リーグとの関係でスペインやイタリアのリーグに所属する選手が招集できず、さらにグループリーグ初戦で韓国に大勝し、余裕を持ってメンバーを入れ替えたという事情があり、ワールドカップ予選開幕を2週間後に控えた今回とは事情が異なる。
■公式戦まで1年間の余裕のあった1973年のギリシャ戦では7人が代表デビュー
むしろ、今回と似た状況は1973年9月8日のギリシャとの親善試合がそれに相当するであろう。フランスは1974年に行われるワールドカップ西ドイツ大会の予選で敗退、1970年大会に続いて本大会出場を逃すことになった。この責任を取ってジョルジュ・ブローニュ監督は辞任、後任としてフランス代表史上唯一の外国人監督となるステファン・コバック監督が指揮を執る。この試合で先発出場5人、交代出場2人の合計7人が代表にデビューした。しかし、この試合には新装なったパルク・デ・プランスに3万人の観衆を集め、次の目標となる1976年の欧州選手権予選は翌年の10月に開幕するため、1年以上の準備期間があった。そしてそれまでの1年間はこのギリシャ戦も含めて7試合の準備のための親善試合の機会があったのである。
このように今回の大量選手入れ替えは過去の事例とは大きく状況が異なり、心配は尽きない。9月4日にサンドニで行われるイスラエル戦のメンバーの発表はいよいよ8月26日である。(続く)