第375回 ようこそ、栄光のルマンへ(3) ダニエル・ジャンデュポー監督とフェアプレー
■1年で2部降格、新戦力への期待
ルマン24時間レースでマツダが日本勢として初優勝してから11年、この町に松井大輔がやってきた。これまでは24時間レースを紹介したが、今回は松井が移籍したサッカーチームを紹介しよう。一昨年は2部で2位になり、昨季は1部に1部リーグに昇格したが19位に終わり、今季はまた2部での戦いを余儀なくされている。2部では現在中位であり、そのためにも新戦力への期待は大きい。
■昇格のために警告、退場を恐れない2部リーグの試合
さて、2部リーグというと日本では若手選手の育成の場と思われがちであるが、フランスの場合は大きく状況が異なる。1部リーグの試合ならば勝敗以外にもスター選手の個人技など、見所はあるが、2部リーグの場合は勝つこと、すなわち昇格することが全てである。厳しい戦いが繰り広げられ、イエローカードやレッドカードを恐れないプレーが続出する。1部リーグに所属する選手が2部のクラブへの移籍を快く思わないのは、単純な収入や観客数や世の中の注目度などだけではない。2部リーグの試合はラフなプレーが多く、負傷などによる選手生命への影響を気遣うからである。非常に残念なことであるが1試合あたりの警告、退場の数は1部リーグの試合よりも2部リーグの試合の方が多い。近年のフェアプレーキャンペーンの成果もあり、1部リーグとの格差は小さくなった。しかしながら、昨年の1節あたりの警告数、退場数を比較すると警告については1部が38.5で2部は39.1、退場については1部が2.68で2部が2.97と依然として2部の試合のほうが荒れた試合が多い。多くの反則を受けるであろうポジションの松井も覚悟の上で2部のチームを選んだのであろう。
■下位低迷時に監督が交代したルマン
さて、ルマンの監督はダニエル・ジャンデュポー、6年前にサッカー・クリックの「フランス・サッカー実存主義」で紹介したとおり、1984年のキリンカップにトゥールーズを率いて訪日したことがある。日本のサッカーファンの間では有名な監督であろう。スイスとフランスの二重国籍のジャンデュポー監督はスイス代表監督も経験し、フランスなどのクラブでも指揮を執った経験があるが、2000年夏にカーンの監督を退いてからは、自由な身分であった。そのジャンデュポーに声がかかったのは今年の2月のことである。第23節でストラスブールに0-3で敗れ、19位に低迷していたルマンはティエリー・グーデ監督が辞任。後任にジャンデュポーが就任したのである。
期待もむなしく、ジャンデュポーは順位を上げることができず、チームを2部に降格させてしまった。しかも就任以来なかなか勝ち星をあげることができず、チームは最下位に転落し、就任9戦目にようやく初勝利を上げるという有様だった。しかしながら、ルマンの会長はチームが最下位に転落し、新監督が初白星を上げる前に来季の指揮を任せると発表したのである。
■2部に降格しても生き続けるフェアプレー精神
事件は就任2戦目のリヨンとの試合で起こった。最終的にリーグ優勝することになるリヨンはこの時点で2位。リヨンのホームゲームとあってルマンに勝機はない。防戦一方のアウエーゲームで、ルマンは警告覚悟のファウルでしかリヨンの攻撃を止めることができない。38分に南アフリカ代表として2002年のワールドカップに出場したことから日本の皆様もよくご存知のサバング・モレフェがリヨンのFWペギー・リュインデュラにファウル。すでに1回警告を受けていたモレフェは退場となり、試合も0-2で敗れてしまう。モレフェの反則は降格から逃れようとする「フォア・ザ・チーム」の反則であったが、試合後、ジャンデュポー監督はモレフェのプレーを激しく非難。この指揮官のフェアプレー精神あふれる態度に対して、フェアプレー賞が贈られ、クラブ経営陣は成績が不振でも残留を決定したのである。
チームは残念ながら2部に降格したが、そのフェアプレーの精神は生きている。第9節を終了した時点でルマンの警告数は11、少ないほうから2番目である。勝つためには手段を選ばないと言われた2部リーグの試合の変革に期待するとともに、このような指揮官の下でプレーできる松井の幸運と活躍を祈ろうではないか。(この項、終わり)